鹿児島県の知覧。「知覧武家屋敷庭園群」。母ヶ岳の優美な姿を借景とした、260年余年の歴史をもつ、薩摩の小京都と呼ばれるところがあります。
江戸時代、薩摩藩は領地を外城と呼ばれる113の地区に分け、地頭や領主の屋敷である御仮屋を中心に、「麓」と呼ばれる武家集落を作り、鹿児島に武士団を集結させることなく分散し、統治に当たらせました。ここ知覧も、その外城の一つ。
江戸時代、知覧は当初、島津家の分家、佐多氏が地頭として統治していました。やがて数々の功績により佐多氏は知覧の私領地化及び島津姓の使用が許されました。
こちらの建造物群は、「薩摩の麓の典型的な作例の一つ」として昭和56年に国の需要伝統的建造物保存地区として選定されました。また同時に、地区内7つの庭園は、国の名勝として指定されています。
地区内は石垣で屋敷が区切られ、沖縄によく見られる魔除けの石碑や、屋敷入り口には屋敷内が見えないように屏風岩(沖縄のヒンプン)があります。江戸時代の頃、知覧の港が琉球貿易の拠点であったことから、武家屋敷も琉球の影響を多く受けているそうです。
狭い道は一気に侵入される事を防ぐ役割を果たし、生け垣は外から家の中を見せないと同時に兵を伏せるのにも便利、との事。
外城制という方法で地方を統治した薩摩藩は、各地に領主を配置し、同時に武士集団を住まわせました。平時には農業を営み、有事には兵士としてすぐ動けるような体制をとっていましたので、武家屋敷の強い風情のなかにも、どこ牧歌的と言うか、農耕の暮らしも垣間見れる穏やかさも町並みに感じられます。
そして・・・知覧と言えば、語るに欠かせないのが戦跡でしょう。
知覧武家屋敷群の側には、特攻悲話の舞台である富屋食堂もあります。
また、知覧には特攻出撃の舞台であった知覧基地の跡にある「知覧特攻平和会館」もあり、まず1日では足りない程の重厚な時間を過ごす事が出来ます。
どうぞ、一度訪れてみては、いかがでしょうか?