鹿児島県は日置市の美山一帯には、薩摩焼の故郷があります。410年前、韓半島より薩摩の地に陶芸の技が伝えられ、「薩摩焼の里」として今も作陶されています。渡来した陶工達の偉業に思いを馳せながら、そぞろ歩いてみました。
薩摩焼の歴史は、韓半島より薩摩の地に陶芸の技が伝えられた事により始まります。
慶長3年。第17代薩摩藩主島津義弘公は、朝鮮から陶工約80人を連れ帰りました。そのうちの40名余りが鹿児島県いちき串気野市島平に着船。その後、現日置市にある美山という一帯に移住したことから、この地での陶芸の歴史が始まりました。
薩摩藩の庇護のもと、朝鮮から連れられた陶工らがこの地に開窯。
今日では県下最大の薩摩焼の産地として、花器や茶器、などの実用品から、透かし彫り香炉などの伝統的な工芸品まで、様々な作品が発表されています。
薩摩焼の大きな特徴として、「白薩摩」、そして「黒薩摩」があります。
かつては全て藩主の手に収められ、決して一般人の目に触れる事の無かった「白薩摩」。玉のような肌に、錦上手絵や精巧な透彫が施されていたりと、大変芸術性の高い焼き物です。
一方、「黒薩摩」は、庶民に広く愛される焼き物であり、瓶壷や茶器、黒じょか等、日用品として使われました。
1867年の第二回パリ万国博覧会に出品された際には、その表面を覆い尽くすばかりの端正な絵、金色に輝く装飾・・・と、その美しい姿が世界中の賞賛を浴びました。
今日の賞賛に至るまでの道のりは、しかしながら決して平坦なものではけっして無かったそうです。
江戸時代初期、朝鮮から渡来した陶工達の、知らない土地での慣れない暮らし、土地風土に合ったやきもの作りへの苦労は、計り知れないものだったでしょう。
こちら美山では、渡来した陶工たちを祀る神社や記念碑なども、史跡として多くあります。