先週の鹿児島出張の中に、明治20年創業の蔵元見学があった。山向こうは港、手前は田畑広がるロケーションで、その昔は港を中心とした宿場町で栄えた所という。
杜氏さんのお話がとても印象的だった。
「近年は機械化が進んで、こちらもコンピューター制御で全面管理出来るシステムになったけれど、そんなものは全然駄目ですね。結局、人が見ないと。かえって僕ら(恐らく40代前半)や、僕より更に若い者は、昔からの製法、例えば龜づくりとか木樽とか、そういうものにとても憧れがあるんです。だからこの会社が新しいシステムに変わった時、もう、僕はここでお世話になるのは違うかな、と思いました。けれど、よく考えたんです。結局、お酒は道具がつくるんじゃない。人の心がつくるんですよね」。
近年長く続く焼酎ブームには、全国に広まる芋焼酎も昔から比べて大変呑み易くなったと言われる。それはひとえに、「芋の生産農家さんの切磋琢磨によって、芋の品質が向上した事」が理由と話された。
「それこそ戦後の物の無い時代には芋自体足りなくて、そのまま食すんじゃなく澱粉材料などに回されるような芋を安くでわけてもらって、焼酎の材料にしたんです。傷んでる所をみんなで削ってね。でも、やはりそうした所の僅かな痛みが、雑味になって独特の匂いとか、味になった。特に地元のお年寄りなんかは、そういうのが芋焼酎だと好んで呑まれるし、最近の何もクセの無い、全国の方に好まれるような芋焼酎には物足りなさを感じている人も多いんです。」と。
確かに、まだまだ全国で焼酎ブームが到来していなかった頃には、親の郷里にある小さな蔵元の焼酎を土産に持って帰ったら、周囲の友達らは「もわっ!」とした芋焼酎らしさにおののいたな、と思い出す。
「けれど、人間の舌とか味覚や好みは、その年代によっても変わるし、それは僕だってそう。この地元は漁師さんが多くおられて、海で働く人達の好む酒造りを軸に、また芋焼酎が新たに見直されるような、そんなお酒づくりをしてゆきたい」と締められていた。
「人の心がつくる」とし、だからこそ自分自身を磨かなきゃならないとされた杜氏さん。ただ店頭で並ぶ酒の顔だけでは伝わりそうに無い、作り手の密かにアツい物語があるんだと思うと、こうしたお話が聞けたのはとても貴重な事だと思った。
という訳で、この度お土産に頂いた荒濾過仕上げの芋焼酎に捧げるべく一膳。
揚立屋のさつま揚げを軸に、鹿児島名産の麦こうじ味噌で作ったふろふき大根、鹿児島産の胸肉でチャーシュー、焼き茄子のマヨぽん和え、小松菜の胡麻和え、高菜の漬物。鹿児島の食べ物はおおよそ、醤油がそもそも甘いせいもあって、辛かろうと、酸っぱかろうと「甘い」ので、そこはやや、こちらバランスで。けれど、芋焼酎が向こうの甘口郷土料理に合うのは確かにと頷ける。
焼酎はロックで少し水を注ぐと芋の薫りが増すと言うので、その通り。ほんと旨い・・・。