「das Zenturum」展。お蔭様で無事に終了致しました。
お時間をさいてお越し下さった皆様、遠くから応援して下さった皆様、そして今回の写真展において様々な面でサポートして下さった皆様。本当に、ありがとうございました。
グループ展等を除けば約10年振りの個展。それだけ年齢を重ねて今回とても分かった事は、「感謝」でした。たくさんの方に日々、陰ひなたで見守って頂いているんだという事を、振り返える貴重な機会でした。
表現の場のひとつであるという捉え方において、まさか、今は無くなってしまった産業遺構を振り返るという場で、自分のおかれた環境や、周囲の方々、人との関わりについて考えさせられるとは思いもしませんでした。
そんな思いがすでに膨らんでいた会期2日目の事です。
見知らぬ若い女性が作品を熱心に見て下さっていたので声を掛けました。
聞けば自分が通っていた中学校の担任であり、生徒会役員だった時の顧問であり、また美術の先生。いわゆる恩師のお子さんでした。
多感期に生活環境の複雑さが重なって毎日がとても辛かった時に、最も支えて下さった先生。欠けているなにかを補う「存在」というもの、「可能性」とか「希望」とか、子供がこれからを生きる時の、根本を信じさせてくれる貴重な大人の一人でした。
思い出話として、「先生が新婚ほやほやの頃、お弁当が無い私に愛妻弁当をこっそり分けてくれて、『家帰ったら感想伝えんといかんから、教えてや』って、いつも言ってくれたんです」とサラサラと言うつもりが、カッコわるくもボロボロ泣けてきました。あああ。ほんとに年齢重ねると涙腺ゆるむってこういう事かと、恥ずかしくなりました。
娘さんが生まれた時には壁新聞で特集を組んだのも、後々その時の写真を見せて、先生は娘に言ってくれていたそうです。そう。彼女が生まれたのを先生に聞いた時はとても嬉しかったなあ。
そして、この会場である「つくるビル」が、古ビルからアトリエビルとしてコンセプトを立ててリノベーションをされた時、その娘さん、なんと立ち上げ時期のメンバーの一人だったとも知って、言葉を失いました。
こんな事。あるんですね。。。
もう。そこからは針を差す寸前の水風船のような日々。
お世話になっている方、あまりにも久しぶりに逢う方、遠路はるばるお越し下さった方、そしてDMをどこかで見かけて来て下さった方。旧友、悪友、腐れ縁。教え子。お顔を見るだけで嬉しくて嬉しくて、帰り道は色々振り返って泣きべそ道です。
こんな風に、展覧会コンセプトの根幹が大きく揺らぐなんて。。。
これからも、つい流してしまいそうなひとつひとつの日常の瞬間をしっかりと捉えて、忘れないよう、大切に、丁寧に、日々を表現したいと思いました。
今まで支えて下さって、本当にありがとうございました。お一人お一人、お礼の言葉がちゃんと言えてたか全く自信が無いのですが、略儀ながら取り急ぎまして。
また次の機会にも、応援して下さる皆様の心に届く、そんな展示に繋げてゆきたいです。
これからもどうぞ、宜しくお願い申し上げます。
本当に、ありがとうございました!