京都、三条京阪駅の東隣のテナントビル2階。Pig & Whistleというブリティッシュパブが30周年を迎えました。
京都でキャッシュ&デリバリースタイルを本格的に始めたのはここでしょう。ここが誕生して、同じようなお店が次々出来ては消えた30年です。
当時のオーナー会社の趣味性が見事に散りばめられたパブ。ひとつひとつ現地で目利きされて運び込まれた調度品が本場さながらに群となって集められていました。その雰囲気とカジュアルな価格設定で、多くの外国人観光客や在住外国人の方らが訪れました。
今回、その全盛期を支えた名物マスターを30周年記念という事で、1日限定で復活してもらうという企画。現在は別会社に経営譲渡されたというのに、粋な計らいです。
長年アメリカで飲食に携わった経験のあるマスターのあしらいに、当時どれだけの人が親しみ、また癒された事でしょう。異文化に馴染めずついつい足を運び、同郷、あるいは日本語以外の言葉を話す仲間を探し求める外国の人達を、どれだけ懐かしい気持ちにさせた事でしょう。こうした存在とお客様の関係性がお店全体を形成し、アンバー色したパブのあたたかい雰囲気に、また多くの日本人のお客様も集まったのです。
しかし、癒され、心から親しんだのはスタッフも同様です。
ちなみにですが、高校を卒業してすぐの頃、私は当時、音楽活動をしながらここでバイトをしていました。
そもそもの経営母体が日本料理のお店だった事から、冷凍フードは一切無し。ピザ生地も粉から、唐揚げも漬けダレから、現地より美味しいと噂のフィッシュ&チップスの衣も全て店仕込みで、バイトであろうとカウンターやホール回りだけじゃ無く、週1回はキッチンに入るというシステム。お陰で今も家の唐揚げやタルタルソースのレシピ原点はこのお店由来です。
経営方針もさることながら、正統ハウスワイフ並の綺麗好きマスター仕込みで、毎日手あかでくすむカウンターバーや金具の真鍮は「ピカール」でピカピカに磨かされました。そして当時あったグランドピアノの鏡面塗装も、毎度テーブル替わりにグラスを置かれるもんだから、乳白色したクリーナーでピカピカに磨き上げました。これらを磨きながら、家に放置したままのピアノも家具も、手入れなんか全くしてないなと、後ろめたい気持ちになったものです。
カウンター越しから見るお店の光景は、毎晩とても面白かったです。
当時はいわゆるバブル終焉期にして、週末は大入り袋が振る舞われるほどお祭りみたいに人でいっぱい。
1杯のビールで何時間もおしゃべりやダーツを楽しむ外国人から、インテリ先生、作家さん、遊び人、派手なおねえさんと外車を乗り回してる事が自慢のおじさん連中まで多種多様。喧嘩あり、色恋沙汰あり、なんでもあり。そう、異文化交流とか多様性とか異なる価値観だなんて、不自然なカギカッコでかしこばられる今よりずっと以前の事。それは自然で、普通で、誰も彼も、何もかもがヘンテコで独特の調和を発するグループが、テーブルが、そして立ち飲みが空間全体に広がっていました。
そんな空間にあってカウンターの内側も、それはそれは個性豊かなスタッフが集まっていて、それぞれに独自の世界観を持っているから行動力もあり、よって風通しも良く。。。話せばこれ以上に長くなるのではしょりますが、もうここを離れて四半世紀程にもなるのに、今日に至るまで最も親しく、そして最も信頼出来る、出入り自由で常にお互いの変化を受け入れ、そして柔らかに心配し合える、人間関係の理想型たる貴重な仲間です。
考えたら今でもスタッフや当時の常連さん達と時々集まっては呑んだりするなんて、相当レアな事なんじゃないでしょうか。
そんな思いのあるお店ですが、ふと振り返ると私はたったの1年でバイトを辞めていました。何故かと言えば、こんなにも毎日がユニークだから、きっとまた違う世界も希望に満ちて面白いに違いない、新たな扉に向かうべきだと思わせてもらったからです。
ちなみに、私が現職に就くきっかけというのも、この店の常連だった師匠の「スタジオ遊びに来いひんか?」という詐欺行為(笑)に騙されて、まんまとアシスタントをさせられた事によります。
いずれにせよ、今の自分がこうして在るのも、ここが原点です。
こうして、背中を押してくれる場所。あたたかく待っている人。さらりと呑んで、忘れて、また帰れる懐。そんなところが、どれだけ時代が移り変わろうとも、何よりこれからも続きますようにと願う、30年のこれから。
昨晩は一人の伝説のマスターに再会出来るという事で、本当にもの凄い人達が集まり、全盛期の様相までも完全再現されていました。こんなにも多くの人が、誰かを慕い、またその場を愛する事が出来るという奇跡の時間に触れて、それは夢のようでもあり、また新たな希望とその価値を見出す事が出来て、本当に胸がいっぱいになりました。