待ちに待ったライカのインスタントカメラ、「ゾフォート」がやって来た!見た目にやられた衝動買い。デジタル記録は勿論出来ない。それもまた良し。
そうそう。
インスタントカメラと言えば、「ポラロイド」のお話は欠かせませんよね。過去、日本のJKムーブメントに富士フィルムの「チェキ」もあったのは、記憶に新しいかもしれません。
さて。
今のように、撮ったものが液晶ですぐ見れる時代じゃ、もちろん無い頃の話。ポラロイド社の創業者ランド博士の、当時三歳の娘がお父さんに向かって言った素朴な質問。
「どうして撮った写真が今、見れないの?」。
ランド博士が娘の願いを叶えるために開発したとされるのが、後のインスタント写真の代名詞となる「ポラロイド」の誕生秘話。発表は1947年の事。シャッターを押すとカメラから飛び出すフィルムに、ほんの僅か待つ事で浮かび上がる画像は当時、大きく世界を驚愕させた。
それから至ること2000年代。デジタルカメラの急速な発展に煽られ、2度の経営破綻を経て、フィルム事業から撤退を宣言したポラロイド社。
カメラ機器の技術発展の歴史を辿れば、おおよそ記録側面、戦争兵器としての側面にぶち当たるが、そんな中でもポラロイドの歴史は、なんだかほのぼのと、お父さんの構えるアナログカメラの前に立つ小さな愛娘が、「見せて見せて!」とせがむ光景が浮かんできて、あのちょっと画質の悪い所もそれは味として、やっぱり、いいもんだったな。。。という思いが巡る。
その発展の果てが、今日における、撮ったものがすぐ見れるデジタルカメラと言えば、確かにそうかもしれない。しかし近頃、フィルム時代における無数の名も無きお父さんカメラマン達が休日に撮った、日常のなんでもない光景や、家族写真なんかにふと出逢うにつけ、フィルム特有の味だけじゃ決してない、きちんとした構図で、陰影をたくみに見極めていて、丁寧に、愛おしみ、まるで息を止めながら撮ってるような1枚1枚の写真というのは、今やどうしてこうも、毎日のかけがえのない筈の瞬間が、あんまり軽んじられてるんだろうなあという、そんな心地をデジタル写真氾濫時代に思ったりも、する訳だ。
撮れない条件では、あえて撮らないとした時代。ちょっと心得がある人の、残した瞬間の時代。
もしかして、1枚の写真単価があまりにも安い、(というかデジタルの場合にはデータのままだと実質ゼロ円)すなわち吐いて捨てる程、というのが、その要因だったり、するのかな。なんてねという仮説と共に。
そんな中、ライカがまるで時代逆行するかのように、2016年終わりにアナログインスタントカメラを発表した。そしてこれがまた、入荷待ちな程の大人気。
その昔は1枚の写真単価もあまり気にせず、嬉しがってパーティーやらでパシャパシャ撮ってはバラまいていたインスタント写真を、回り回ってこの時代。
ちょっと丁寧に1枚1枚、ミニマムな日常の瞬間を、きちんと撮って、みようかなと。