今更になって元・ポリスのベーシストであるスティングがソロ発表した
「イングリッシュマン・イン・ニューヨーク」という曲が、頭の中をぐるぐる響いている。
響く、と言ってもイントロのあの、洗練された出だしの美しい音が始まりだから、とても心地良い。
これは私が高校生の頃に発売されたアルバムの1曲だ。
その頃、スティングはジャズミュージシャン達と交流を深めて次々と楽曲発表しており、
R&Bからジャズを聴き漁るようになっていた当時の私個人、
ポリス以降のそこだけに注目して居た観がある。
そしてこの曲に至っては、英国人としての気位と誇りのある男が、
馴染めないアメリカ暮らしの中でそのプライドを盾に揺るがないぞ、と歌っているんだろうな、
くらいに思って居た。
楽曲があまりに美しく、そしてバックの音はエレガントかつ都会的、
スティングの声がそれらに渋みを加え、
結果回り回ってニューヨークの街が見えるような、そんな風に捉えて居て、
当時は全く歌詞を読み込んでもいなかった。
ふと、最近になって曲中のフレーズが頭を離れなくなったので、改めて音読してみる。
「be yourself no matter what they say」
自分らしくあれ。誰がなんと言おうと。
同じ言語を話す筈の者同士でも、
同じ文化圏の中で時間を共有している筈の者同士でも、
人それぞれに重要視してきた情報、背景、価値観が違えば、全く通じ合えない事がある。
しかしそれは、まずもってそう深く交流し合わず、
またはやりあうこともなければ、おおよそ避けられるし、
それなりの距離をとっていれば、お互いに尊重しあえる事もある。
だらだらと流れる偏りがちなニュースや娯楽番組も、ネットに溢れる下世話ネタや悪口大会も、
テレビやPCさえ消せば耳にも目にも入れなくて済む。
けれど、いくら避けたところでその分量がこちらの側の多くを占めた場合、
訪れなければ仕方のない場所や、風景や、問題や、組織や、その他、割り切れない思いの中、
成り行き上関わらずに居られない事柄に足を踏みこんだ場合、
そこで聞きかじる人の多くの言葉、あるいは否応無しに得られる情報や価値観、
他者の決して譲ろうとしない思考に基づく結果や形態などを目の当たりにして、
とてつもなく揺るがされることがある。
好奇心は旺盛な方だ。
耐性はある方だ。容量もそう、小さくは無い筈だ。
人間だって、嫌いじゃない。
向かってきたものに、罵倒して返すのも好まない。
けれど。それは本当か。
自分は本当に、何か根本的なところから間違っちゃいないだろうか。
イングリッシュマン・イン・ニューヨークは、決してなりふり構わず、我が道、我が言い分を通せ、
言いたい放題、やりたい放題の自分、思想信条、ブレない自分を通せと言っている訳ではない。
この歌詞の前に置かれた言葉はとても、とても意味深い。
「礼節が人を作る」なら、
無知に耐え、
微笑まなければならない今日において、
それを問うた彼は英雄だろう。
自分らしくあれ。
誰がなんと言おうと。