ここのところ立て続けに、大切な、大切な、
かたちあるもの、カタチは成していないもの、いくつかを失った。
失えてしまうと、では何を得ただろうとつい焦って振り返ってみたら、
用途ある物質しか思い浮かばない愚かな自分に気づく。
一方で、
命あるものに巣喰って形を成し、取り除くことは極めて困難な病と、
その様々なカタチにもいくつか出逢った。
まだ、時間だけはきっとある。
けれどそれらはあまりに欺瞞だから、
希望に転換する力の存在をつい、見失いそうになる。
先週の初め、お隣の大阪を震源とする地震があった。
翌日からの京都は平常運転で、
スーパーのカップラーメンの棚が空っぽになった位の日常との違い。
震源地近くのマンション上階に住む叔母は、電話の向こうで最初、とても弱々しい声だった。
戦前生まれ。典型的な薩摩おごじょの叔母は、挑戦と努力、不屈の人で、
その、男のような決断力と見切りの良さ、正義感、無限の可能性と才覚を持ちながら、
それらをグッと腹の中で包んで、
家族のため、周囲のため、出過ぎず声を荒げず生きた人である。
そんな強さを持つ人だから、小さい頃から親の取次前の電話口で、たった二言三言、
定型の励ましや戒めを言われても、はいっと背筋が伸びる。
時が流れて今の今まで、周囲、あるいは私という人間を信じ、誇りとしてくれた人。
「今は来てくれるな」。家財全てが散乱した家の中で、それでも叔母は言う。
「もう少ししたら、叔母さんも復活するから。そしたらまた会いましょう」。
6月が終わろうとしている。
グズグズとした気持ちでいさせてもらえた事に先ずは感謝して、
庭の紫陽花を切り落とすことから始めてみよう。
明日のことはわからないけれど、未来にきっと、花を咲かせるために。