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Something old〜2019年のお正月は古いものと共に。

 昨年の暮れ頃から何かにつけ「平成最後の」の文字がテレビや新聞、ネットで見られるようになりました。あんまり連呼されるから、お正月番組を見ながらおツレはもう食傷気味で、「もうええて」とツッコミを入れるようになりましたが、私はと言えば年号の変わることに今回は勝手が違うからか実感出来ず、少しづつ覚悟が出来るから何度だって言われたいと密かに思っています。

 ともあれ、ご健康でおられるうちに年号が変わるというのは個人的にはありがたい気持ちでもいます。衝撃と悲しみと変化が一緒くたでいきなりやって来るのは、私はどうも苦手です。

 何にせよ、なだらかで、場面転換にも新しいものと古いものは、混ざり合って次に繋がってゆくのがいい。

 しかしこの、「平成最後」については、振り返りとともに平成とはなんだったかの特集ものが昨年来色々あって、事件や事故を振り返ると、ああこれも平成だった、あれも平成だったと思う事多々です。

 わずか30年ほどの間に、記憶に刻む災害も多かったのは言うまでもありませんが、事件に至っては旧来の貧しさや富への渇望と言った動機では括れない、同じ目標を目指す仲のうちは良かったけれど、その勢いから外れた先の複雑さに満ちた、法律的な結論は一応出されたとて、いまもって、まるで分析すら未決な事件が多かったと思えてなりません。

 

 さて。

 電子手帳がもしかして今や一般的かもしれませんが、私の場合は相変わらず手書きが好きで、新年には手帳(本体はフリーランスになって以来使っているもの)のレフィルを新たにして、メモ書き部分には旧年、その時々に出会った素敵な言葉を忘れないように、書き記すようにしています。

 時には般若心経の口語訳だったり、インディアンの格言だったり、裏千家大宗匠のありがたいお言葉だったり。。。

 

 最近知った言葉で素晴らしいのがあったので、書き記したのは以下の文章です。


「いろいろと変な事件がいっぱい起きました。

そこに共通して言えることは、

自分の欲望が通らないと、

それを全て人のせい、世の中のせいにして、

犯罪を犯すバカどもの行動であります。

私は人が何かを起こしたとき、

人が何をしたか

何をしなかったかを一切考えません。

自分が何をしたか、

何をしなかったかだけを考えることにしています。

そうすると、

雲のように悠々と、

水のようにサラサラと生きられます。」

 

~遠藤誠弁護士。ある年の年賀状。


 遠藤誠弁護士と言えば「異端」の言葉が連動する、弁護士活動もそうですが、実は仏教家としての顔も持たれていました。

 扱われた事件の数々は昭和史にも、また平成にもまたがるもので、おそらく誰もが知るところでは帝銀事件、暴力団対策法案における山口組の主任弁護人、オウム事件での青山弁護士の弁護人等々、扱われた事件と遠藤誠氏に関する文章に触れるたび大変興味深く、一度でいいから会ってみたかった、ご本人の講演など聞いてみたかったと思える人。。。たくさんおられるのですが、残念ながらご生前に叶わなかったお一人であるのに違いありません。

 

 上記にある「犯罪を犯すバカども」という触れ方は、一見相手を突き放して貶めているような強い(そして表現的にはあまり好まない)言葉ですが、この方の人柄や、生前多くの事件を熱意と誠意を持って、世相的に誰もが弁護したがらない人物さえもご自身の中のイズムを持って積極的に取り組まれた事を思えば、もしかしたら誰をもが陥りそうな心情をブン殴って抱きしめるような、相手に対する愛のある言葉にも思えます。関西人の、「ほんまアンタ、あほやなあ」と言うニュアンスに等しいです。

 そして、世の中の闇の要素、透けた要素、光の届かない場所もどうしようもない事も、きっとなんでも知り尽くした人であったろうに関わらず、悲観せず、諦めず、どうあるべきかの生き方を示された、とても素敵な言葉が綴られていると思うのです。

 

 新年になり、おおよそ元旦には優しく和やかな言葉が並ぶ1日でしたが、もう次の日になると悲しい事件があって、切羽詰まった緊張と共に政治的なお話があって、世情を憂いで悲観の言葉ばっかり羅列したり、一方通行の主義主張を繰り出し始め、もう、明日明後日には誰かをいたぶったり、なじったり、敬語を忘れたり、嘆いたり、無関心を装ったりあるいは装う人を貶したりする言葉が並ぶ日常になるのでしょう。

 ただでさえ、偶然にも身に降りかかる災難だけでも対処で精一杯だから、もしも隣人同士、一日互いに健康で過ごせるのであれば、やっぱり、互いが穏やかに居られるように、遠慮したり、一緒に喜んだり、応援したり、支え合ったりして、生きたいなあと思います。不平不満を酒のアテにして呑んで誰かを小馬鹿にする人生は、何にも美味しくありません。

 生きることが楽しくいられるように精一杯工夫したり、自分の思いがどうすれば多くの人に浸透するかを諦めずに工夫したり。

 しかし、その工夫だって大変です。でも、この「諦めずに工夫する」ことって、とても有意義だと私は思うんです。

 

 今年も、当たり前のこと、普通のことを、ちゃんと納得して、出来る限り丁寧に、物事に対して取り組んで行きたいと思っています。

 

 毎年のお正月には、新年とは言え自分なりのテーマがあります。

 欧米の結婚式では、「サムシング・フォー」と言う言葉があって、日本でも「サムシング・ブルー」と言うのが割と有名ですが、その中の「サムシング・オールド(何か、古いものを取り入れる)」が自分の中で最も、好きな要素です。

 

 初手作りのしめ縄飾りを、自分と同世代の昭和40年代の家に飾ってみます。

 玄関には、古く昔は稲荷参詣の定番土産だったと言う伏見人形。

 床の間には生前父が作ったお人形と、人形作りの先生が作られた羽子板。

 台所のお勝手、お札の横には去年お詣りした西郷さんゆかりの神社のお守り。

 

 それから、塗りがめくれてボロボロだったお重にもかかわらず、私が居なくなったら継ぎたいと言われたことをきっかけにお直ししたお重には、今年そのきっかけを作ってくれたアメリカ在住の友達が家族で正月帰国して、みんなで一緒に囲むことが出来ました。色々前向きなお話をしたり、互いに共有する過去を笑いあったり。楽しかったし、嬉しかった。。。

 ああしかしもうすぐ、名残惜しいですがお正月飾りも納める事になりますね。

 

 また来年も、みんなで無事にお迎えできますように。

〜最後に。オマケ画像。

おせちリメイク。
栗きんとんをミルクと生クリームでのばして、友達らが来た時に焼いた酒粕ケーキ残りにふんわりかぶせて、イメージ的にはモンブランケーキを。

お土産にもらったいい香りのするキャンドルを灯して、今日の日は、さようなら。また会う日まで。

 

谷口菜穂子写真事務所
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