見えざる恐怖を撒き散らした原発の、
廃炉が完了するまでに言われる30年から40年。
9年前からの、その後なのか。
今から数えて、その後なのか。
いずれにせよ私たち40歳以上は、
途方もなく長いその後を見届けることは多分出来ない。
歴史を読む事も申し送りも不得意ながら、
以前恩恵を受けた大人達は、
様々な問題を次の世代へと残したまま去っていく。
自分の始末もちゃんと拭けない私たちは、
拭くお尻の数よりはるかに多いトイレットペーパーに
今や群がっている。
戦争があって、
復興と急加速の経済成長があって、
災害があって、人災があって、
そのたび、大切な人を亡くし、家を無くし、故郷を無くし、
未だ後遺症に苦しむ人と同じ時間軸で、
実は私たちは生きている。
見えない毒を海や空に蒔き散らしたのは彼の国だけじゃない。
生きる上で最低限必要なものすら無かった時代。
必要なものを量産するあまりに痛みを強いた時代。
中央から離れたところで起こる悲劇に目を背け、
その後の余剰にあやかった今。
善悪も喜怒哀楽も見た目で分からない、
マスク姿の街の光景。
見えないものは恐怖なんだ。
その一方で、目を逸らさずにいれば見えるものは、
その現実の痛ましさに遠ざかり、
目の前にあるものが無くなりそうだと不安に煽られば、
過分さえ搔き集めてしまう。
見たいものを選ぶ自由と余裕がまだ、私たちには全然ある。
平和に、ひたむきに、慎ましく暮らす人々に突然やってきた、
不条理の極みにも、直視するしかない現実の始まった日。
そんな日が、実は無数の人にあったことを、
目を閉じて心で感じてみよう。