朝イチの甘いもの。
前日に炊いた京都大納言小豆を、焼いた白餅と栃餅にかけて頂いて、これまた美味しく出来たご機嫌のまま、宇治方面まで車で向かう。途中、朝昼兼用にと、これまた中毒性の高い(つけダレが堪らない)焼き鳥の「鳥せい」(の、伏見本店じゃなく醍醐店)に立ち寄りランチ定食。目指すは宇治・黄檗にある「萬福寺」へ。
昨今の流行モノで観光客も減ったが、常は他県から見たら訪れる人の多い(多過ぎる)と思われがちな京都も、実際には人の動きには場所ごとに極めて片寄りがある。
ちなみに今回の宇治エリアでは、こんな大騒ぎの閉塞感あふれる時期にも、京大宇治キャンパス向かいの有名人気店のパン屋さんは、車から眺めて諦めるほど買い求めるお客さんの列が相変わらず長蛇についているし、宇治の老舗茶葉店の甘味処も他県ナンバーの車でいっぱい、大賑わいの大繁盛だ。
一方、今回の目的地である萬福寺は、「桜や紅葉がどっさり植わってる訳じゃあ無いから、まあ、1年を通してこんな感じで静かな所ですよ。うーん、強いて言うなら近くの三室戸寺さんが紫陽花の時期になると、その流れで観光の方がついでにポロポロ来られるくらい、ですかね。あとはまあ、お祭りとかイベントの時くらいかなあ」とは、売店のお母さんの弁。
おかげで国道沿いにありがちな、現代日本らしい時代性も、材質も価値観もガチャガチャのごっちゃ混ぜな光景から、一気に遠い異国の地に辿り着いたような、唯一無二な感覚にぐいっと誘われた。
黄檗山萬福寺とは、日本三禅宗の一つである黄檗宗の大本山である。
江戸時代(1654年)に中国福建省から渡来した隠元禅師が1661年に開創された寺院にて、中国的な特徴を色濃く残していると言われている。
江戸の中期頃までは住職はそのほとんどが中国から渡来した僧侶であったため、朝夕のお勤めや儀式作法、法式、梵唄にはその伝統が今も受け継がれているとされる。
建物的な魅力で言えば、一般的な日本の寺院建築とはかなり異なる点。
中国の明時代末期頃の様式にて建築材は南アジア、東南アジア原産のチーク材が使用されており、そもそもで色目が赤い。妙高峰を背にした広大な境内には七つの伽藍があり、それらは左右対称に配置され、またその全ての伽藍は屋根付きの回廊で結ばれている。
更に建築要素である意匠の独特さにも注目すると、目にするもの全てが興味深い。
例えば写真は「開梛」(かいぱん)と呼ばれるものにて、斎堂前に架けられた魚板。口にくわえている珠は煩悩を表し、魚の背を叩く事で煩悩を吐き出させると言う意味があるとか。時を知らせるものとして今も使われており、木魚の原型と言われているそうだ。
他にも、「卍字くずし」のデザインによる勾欄、「黄檗天井」と呼ばれるアーチ形の天井、円形の窓、扉に彫られた「桃符」と呼ばれる桃の実形の飾り、参道に敷かれた敷石は龍の背の鱗がモチーフ化されたものなど、ユニークな技法はそこかしこにある。
散策を進めるほどに、普段見かけるものと違う、小さな発見の積み重なりが楽しくてたまらない。
萬福寺の仏像群も注目されたい。
写真は大雄寶殿にある十八羅漢像のうちの羅睺羅尊者(らごらそんじゃ)。腹を開いた中からはお釈迦様のお顔。。。と、なかなかにグロテスクだが、「どんな人の心にも仏が宿っている」と言う教えを体現したものなんだそうだ。
写実的と言うか直感的と言うか、萬福寺にある仏像は、その全てがこれまた日本の寺院では見かけない顔立ちや色彩、立ち振る舞いにて実に異国情緒に溢れている。
どうやら、作られた仏師も中国の方だそうで、わずか11ヶ月の来日期間中に27体を製作したと言うのだから驚き。詳細は以下のリンクをご参照あれ。
今回は様子見なので食さなかったが、今度は是非とも予約を取って、ゆっくり堪能してみたいのが「普茶(ふちゃ)」。
普茶料理とは、萬福寺開祖が伝えた中国の精進料理。「普くや大衆と茶を供にする」と言う意味が込められており、自然の産物を調理し、すべての衆が佛恩に応え、報いるための料理と言う。
境内にも予約制でこの普茶料理を食べられる所があり、また萬福寺の寺領内にも食せる所がある。写真は萬福寺前の、お庭も大変見事な普茶料理店。次は必ず予約して食べよう。
と、言う訳で、遠く海を渡って来られた先人のお陰様で、今日こうして目の前に見られる異国の文化。
この機会に、普段訪れる事も無く、また目にする機会も後回しにしていた、ごく近くにある素敵なものを探訪するのに、散歩がてら、探してみるのも良いかもしれない。