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2020年を締め上げる映画。その感想。

ドキュメンタリー映画「ヘルムート・ニュートンと12人の女たち」を観て。

 私の中の写真の神様、ファッションフォトグラファーとして頂点を極めたヘルムート・ニュートンのドキュメンタリー映画が生誕100年を記念して上映されると言うので、京都はアップリンクへ向かった。

 

 元々、写真は撮るよりも見るのが私はそもそも好きで、ファッションフォトグラファーになりたいどころか、コマーシャルフォトグラファーになろうだなんて夢にも思って無かったのに何の因果かカメラマンのアシスタントをする事になってしまったのが19歳の頃。憧れては無いのでショックと言うよりなんだガッカリ、と言うのが正確な感情表現だけれど、もう既にその頃の広告写真と言うものは撮る際には予め、ディレクターやデザイナーによる「ラフ」と言うものが存在して既にクライアントもスポンサーもその方向性を了承済み、ポスターあるいはカタログなどページの割り当てにはこういう写真、こういうレイアウト、がそもそもで決まっていて、ラフスケッチならまだしも、もう既に誰かがどこかで撮影した写真がはめ込まれていたりもして、「こんな風な写真を撮影して下さい」と、ビジュアル指定が(多少デザイナーの指定の細かさとか大らかさに差はあれど)かなり成されているのには当時驚いたのを今でも鮮明に記憶している。

 そのプロセスは受け取る大衆をアッと驚かせる、と言うよりも出来るだけストライクゾーンを広く、出来るだけ承認を得たものにして、結果、世間一般に好感を持たれるようなものを作り上げる為にすら見えた。

 (もしかして、写真家というものがどう言う仕事をするものかを知らない人、あるいは写真業界を目指す若者なら共感してもらえるかもしれないけれど)何故なら、現場を知るまでの私は、1枚の写真に対し、写真家というのはその作品の全てを管理し、設定し、作り上げ、ロケを選び、物語を作るもんだと思っていたから。そして、写真というのは写真家と被写体の共同作業で、その結果の後にデザインがついてくるんだと思い込んでいた。そんな極めて主観的な表現の中にも飛び抜けてカッコいいもの、嫌悪するもの、色々あって、好みのものに出会う楽しみもあった。だから、例えばこれまで何度も眺め続けてきたお気に入りのアーティストのレコードジャケットの製作過程は、コマーシャル現場と同様、実際にはそんなもんなのか?!いや、そんな訳ないと、当時は相当困惑したのだ。

 若かった私はその疑問をそのまま、当時の師匠にぶつけてみたら「写真家というのは、カメラもそうだがライティング(照明)のプロでもあるんだよ。お前の考えは写真家のエゴだ」などと軽くいなされて、時には「お前の写真もエゴが過ぎる。トリミングの余地どころか文字の置き位置さえ見当たらん」と怒られたりして、「何がエゴかが分かりません」なんてことはとても言い返せず、でも釈然とせぬまま、自分が信じたい表現や撮影の在り方、チームとの関わり方、このコマーシャル業界自体、その中での被写体との関係性など、果たしてこんな自分はコマーシャルになど向いているのかと言うそもそも論であれこれ試行錯誤しながら、なんとなく答えを模索しての今日にある。

 

 と、ちょっと話が遠回りしたが、今回、何よりもこのドキュメンタリー映画を見て嬉しかったのは、ヘルムート・ニュートンの撮影現場における振る舞い及び写真の撮り方がしっかり見れた事だった。1枚1枚の、空でも覚えている強烈なヘルムートニュートン のあの写真、この写真は、その世界観から舞台設定、モデルのチョイスから動きの指示出し、表情のほんの一つ一つさえ、写真家自身が事細かに指示を出して作り上げていたからだ。そしてコマーシャルやファッションの業界に身を置きながら、それで飯を食べていながら、まるでアンチかと思えるような写真を次々と撮影していたこと。例えばかの有名な、キッチンという場面で、まな板の上で鳥の丸焼きを結んでいた足がだらりと開脚されて、それはある種とても卑猥で、包丁を握る手元の指にはブルガリの超高級宝石がつけられているのがスポンサーも卒倒したと言うキャンペーン写真だった、とか、ファッションモデル群が一級の洋服を身に付けた写真に対比して、全く同じポージングでヌードを撮影し、女性は着飾らなくとも強く美しくある事を謳ったのがファッション誌であるとか。。。今日、我々がオンタイムから外れて今や写真家の写真集か写真展で見渡すその代表的な作品の全てが、実はコマーシャルかファッション誌を飾ったセンセーショナルな冒険と挑戦(あるいは挑発)の記録だったとはと今更知って驚愕する。

 若い頃に羨望と尊敬の念を感じてやまなかった写真の神様は、やっぱり、私の思った通りの写真家たる写真家だったんだ!と嬉しくて、もう今や、本来ならばキャリア的にも後続に尊敬されねばならない年齢に至り、さりとて若者に憧れられるような表現者には微塵も至っていない自身に落胆しつつも、ああまだこうやって、憧れられる人、表現の神様がこんなふうに死してなお、降りてきてくれるんだと心底嬉しかった。しかも、作風から想像するに大巨匠たる威厳と怖さを纏った人と思いきや、まるでローマ神話の神様みたいに人間臭くてユーモアと茶目っ気に溢れ、方時もカメラが離せない永遠の少年のような、愛すべき人物であるのも知れて色々と謎が解けた。

 

 時代性がマッチしてたから彼の作風は受け入れられたんだろうとか、巨匠だから何をやっても許されたんだろうとか、もう亡くなって16年も過ぎてしまえばそんな風に思われるかも知れないが、この映画で知る限り、やはりその作品を発表するたび「女性蔑視」「ポルノ紛い」「身体的マイノリティへの侮蔑」「ナチス的」などと論争され今で言う「炎上」にも遭い続けた事、そして巨匠だから許されたのではなく、常にブレの無い一貫した主義に基づく表現をし続けたからこそ巨匠としてたり得たんだろう、そして何より、被写体や編集者(映画の趣旨に沿えば女性モデルや女優、そして妻ら)に強力に味方され続けた、と言う事が示されている。

 

 ヘルムートニュートン の写真群を見続けて、それがいかなる内容であっても私は正直一度たりとも女性として不快感を味わった事はない。それどころか、昔、京都の小さなギャラリーで行われた写真展でオリジナルプリントを目の前にした際には、女性の強さ、媚びのなさ、人形レベルに何をも言ってないのに恐らく、男性から性的対象になど軽々しくもされないエネルギーが満ちていて本当に圧倒された。そして、似たような表現にも関わらず、また別の異なる写真家の作品群には確かに不快感や嫌悪感に襲われる事もままあり、その何故に目を逸らさず、自分なりに解釈したり分析し続けてもいた。そしてその最終的な答えみたいなものを、この映画によって見出したような心地でもある。

 ワイマール文化の基に生まれ、やがてナチズムの浸透によって全ての価値観が一変され、そのビジュアル要素の具体化としてのレニ・リーフェンタールにも実は強く影響も受け(戦後バッシングを受けたリーフェンタールとヘルムートニュートン は交流があったと映画で知ってこれもまた驚き)、ユダヤ狩りによって命を落としたワイマール文化の象徴的存在だった女性写真家を師匠に持ち、自らも愛するベルリンから家族散り散りで国外逃亡せざるを得なかった複雑な境遇を辿るユダヤ人少年、ヘルムートニュートン 。

 言えば暗黒時代のサバイバーであった彼が、自身の境遇や環境をどう受け入れ、どう消化してきたのかは詳らかにされずとも、そんな背景があるからこその写真によって、その次の時代で表現を見事に開花させたわけである。そして映画のコンセプトである彼の写真対象であったモデル達が、そんじょそこらの写真評論家など霞んで見えるほど饒舌に、そして的確にその作風を理解し、解読する姿!これがあらゆる蔑視の対象たる人々で果たしてあるのか。ビジュアルが優れているだけでは無い、気品と気位、知性と洞察力や理解力がひときわ優れたモデル達を、撮影者のヘルムートニュートンは(ヴォーグの伝説的編集者アナ・ウィンターに宛てた手紙にある「あなたのお気に入りの悪ガキじじい」よろしく)実はただただ、ひれ伏して崇めて尊敬して焦がれて、彼女らの奥底の魅力を最も引き出したに過ぎないんじゃないかとすら思わされる。ので、一方では被写体では無くその作風に対して批判する側の象徴として映画の中で扱われる(写真評論としても著名な)スーザン・ソンダクがヘルムートニュートン との公開討論会の記録映像にある、「あなたの写真は女性蔑視もいいとこよ。女性として不快だわ」と言わしめるくだりも、これはとても古い記録でありそれ以降も一貫してスーザンが(私の大好きな写真家アニー・リーボビッツとパートナーになる恐らく前)後々にも同じ意見としてブレなかったのかは興味深いが、両者はほぼ同時期に亡くなってしまったからもう聞きようもない。

 

 写真家というものは撮影する際、そのプロセスにおいてそれぞれに様々なアプローチがあり、それが写真及び写真家自体の個性にも繋がる。その被写体が人物である場合、ほぼモデルに対して声を掛けず指示も与えずモデルの動きのまま連写して黙々と大量に撮影した後に最も良いとする1枚を選ぶ人もいれば、更に自身の存在を消して(言葉を悪くすれば)盗み撮りのようにしてそっとモデルを撮る人もいれば、更には声も届かないほど結構な望遠レンズでモデルととんでもなく距離を取って撮影する人もいたりする。その逆、とにかく被写体を歯が浮くほど褒めちぎって乗せまくって撮る人(恐らく、一般人のカメラマンに対するイメージはこれ)、被写体とコミュニケーションを図って自然に撮影を進める人、会って一瞬で被写体との心の距離を縮める特性の高い人。。。など、様々にある。

 で、ヘルムート・ニュートンがどうだったかと言うのは、今回の映画で知ることの出来た(私の中では最も)貴重な撮影現場において、彼は相当細かに舞台背景は予め入念に頭に置いて、モデルの動きを制御あるいは誘導させて、今と思う瞬間、止まったように撮影するんだ、と言うのが分かった。そして一方では、閃きと思いつきも含む自由度もある、という感じだ。

 使用しているカメラは中判カメラから小さいハーフサイズみたいなカメラまで様々で、映画で見渡す限りは昼であれ夜であれ暗い所であれ大抵三脚になど固定せずに手持ちで撮影している。距離から推察するに望遠レンズはほぼ使っていない。むしろどちらか言えば広角系でかなり近景から撮影している。例え高感度フィルムを使用しようが、あるいは大伸ばしにして粒子が荒れようが、彼の中にある壊そうとした所で壊れようの無い染み付いた構成主義による美意識や完璧主義が有る限り、それは乱れることも汚れる事も無いから、撮影の手法によって絶妙に中和させているように思う。その証にどんなにストリート調に撮影しようがドキュメントタッチで撮影しようが、あるいは絵画のように撮影しようが、構図は常に恐ろしいくらい整っている。がしかし、あんなのを仮に大判カメラで三脚に据え置いて撮った日には、彼の写真には絶対になり得ない。故に人によっては理解し難く乱雑で、一方で管理的で、狂気かも知れない全てのチョイスが、どこか微かに人間の臭いを放って嫌悪し切れないのも頷ける。誰が結果に対してどんなに否定しようとも、被写体とは確実に何らかを通わせてもいて、それらは途方もなく美しいに違い無いから。

 

 さて最後に、この映画制作における意図としてかなり明確に、当時も今も見解の分かれる表現物に対してどう紐解くべきか、どう議論の行末の着地点を見出すべきか、と言う議題が込められてもいるが、もう本当に、表現者側として金輪際、時代が変わったとか、面白く無い時代になった、不自由になった、などと憂いでばかりいる事こそナンセンスなんじゃ無いかと私は個人的に思った次第。あるいは、何らかの意見の対立において、その一方の強そうに見える風潮に対してなんとなく流されてしまう風潮の傍観者に対し、その傍観者を憂う結果的には傍観者にもなり得ている自分にも対し。

 闊達な議論と明確な意思表示とは、それをしっかりと語れて多くの人にもなるほどなと認められる能力を持ちえてこそであり、そしてその能力とは鍛錬の結果であり、つまり常に物事を冷静に見つめられる眼差しと、絶え間ぬ学習と、観察し、推察し、自らを顧みれる自己に向けた批判的精神と同量に、自らを信じる力が備わってなければいけない。

 揺るぎないものって何だろう。それをよそに求めるのか、自らの内側に形成させるのか。本当に問われているのは時代でも風潮でもなんでも無く、その場に生きる自分自身の退化か進化でしか無いんじゃないか。

 

 私は、出来る事なら進化したい。

 神様。そう思わせてくれて心からありがとう。

 

 ボヤボヤとした2020年を、思い切り締め上げてくれた映画でした。 

谷口菜穂子写真事務所
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