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一年の計。あえて立てないお正月。


 この年末ほど、年末の実感の無いことは無かった。

 年賀状を書いてみてもどこか上の空。大掃除もエンジンがかかりづらい。50キロ分の大型ゴミをクリーンセンターに持ち込んでサヨナラしても、100キロまで千円のラインに満たなかったからかスッキリしない。そうやって日付だけが過ぎていく。いや、確かに今年の年賀状ほど、わずかに書き添える言葉に意味を持たせた事も無いかもしれない。お元気ですか?とか、お体大切に、とか、またお会いするのを楽しみにしてます、とか。お決まりの定型文だけどそれは本当に、心だけは寄せた。恒例行事の1枚の葉書には、近年無いほど意味があるようには思った。

 

 年末恒例、12月19日に行われた京都の古材文化の会さん主催、京都は京北町の有志の方らのご指導によるしめ縄づくりワークショップに3度目の参加をして、一緒に参加した友達と久しぶりに会って互いの近況を喋っていると、だんだんようやく、なんとも総括の出来ない、でもサッサと終わりにしたい、いやなんとか実のある1年としたい、みたいな気持ちだけが焦る2020年も確かに終わるんだなと感じ始めた。形あるものを、新たな年を迎えるために作る。それは目の前の、手汗をかく自分の掌から実感として湧いてくる。けれどこんな1年だったからやっぱり欲が出る。ああもうちょっと器用に数をこなして、友達らにせめて配れれば良かったな。材料にお持ちくださった、まだたっぷりある稲藁の余りに目をやって、そして残された時間も無くて残念な気持ちになる。

 基本の牛蒡型のしめ縄を作ったら、後は自分の好きな感じのしめ縄を作る。年内に大掃除がちゃんと完了する自信が無くて、クリスマス対応型のスワッグのようなしめ縄にしてみた。あしらいには京都は綾部の物産館で買った、恐らくは地元の方の育てたドライフラワーを用いてみた。

 ちなみに、今までのしめ縄づくりだったら3人1組になって一つづつ締めていくものを、今回は感染予防の為ということでそれぞれ一人づつ、手足膝肘全身使って締め上げる事に。やっぱり、一応出来ないわけでは無いが素人一人でやるとしめ縄の締まりが実に悪く、よって作りが甘くなる。人と人って、ほらこんな時だって大事なんだとつくづく。


 あとはボツボツ仕事の終わりが見え出して、合間に気の無い大掃除をして、28日は近年恒例だった先輩方との飲み会はオンライン。29日に買い物、そして夜、黒豆の下ごしらえから始まるおせち作り。

 30、31日は丸々、台所にべたづきとなるおせち作りなので、年越し蕎麦は楽させてもらいたいなと計画の元、我が家から自転車で10分15分圏内の泉涌寺エリアにある、元貿易商の迎賓館にて営まれているそば茶寮「澤正」さんまで注文しておいたテイクアウトの蕎麦を取りに行く。

 澤正さんのお店自体は高低差のある付近にあって一際異彩を放つ(和洋折衷の近代建築が好きなら)魅惑の佇まいの建屋で、メニューは蕎麦懐石のみ。ちょっと敷居が高いなあ、なんて思いながら、その近くにあるそば菓子処のお菓子だけをとりあえず買って食べる、そして人に贈る、と言う事を繰り返していたら(これがまた美味しくて贈った先にもいつも大変好評)、コロナ禍のせいというか、お陰というか、お蕎麦のテイクアウトを始められていて、今回の年越し蕎麦は初めて、澤正さんのお蕎麦にありつくことが出来た。これがまた麺は勿論、お出汁が芳しく、もう最高に美味しい。今度は是非、実店舗でお食事しようと思った。

 とりあえず甘めに炊いたキツネと、九条葱をこんもり。ガス海老を天ぷらにして別皿で添える。ずっと食べ物に囲まれてるけど、味見以外にまともなご飯を食べる、と言う実感の無い台所生活最後の2日間は、食べることに飢える。これはまあ毎年恒例の感覚。結果、労働者のがっつり蕎麦になってしまった。苦笑。


↓澤正さんのサイトリンク

https://sawasho.jp


 

 31日の夜にはなんとかおせちも出来て、ここ15年ほどか無理やり貰ってもらうお友達の所にもおせちを届ける事が出来て、なんとか2020年を終わらせることが出来た。本来なら、お届け先の友達の家にちょっとお邪魔してお茶を頂きながらおしゃべりをするのも通例だったが、今回はお節をドアノブにそっと掛けて立ち去った。

 

 明けて2021年、今年のお正月は金沢の実家に帰るのを控えたおツレと共に、テレビとお酒とおせち三昧。初日は私の好きな京都の白味噌のお雑煮にして、次はおツレの好きな白出汁のお雑煮にして。2日の昼には人の作ったものが食べたくて、京都タワーサンドにてデザートビュッフェに行き、これまたコロナ禍にて業態を変えて、席に着いたままワゴンでサービスしてもらう楽チンなスタイルにそれはそれで満足。しかしこんな形態でかつ、お客さんもかなりまばらで採算が取れるのだろうかと勝手なもので心配にもなる。

 3日は、元は引き合わせてくれたアメリカに住む友達のその友達女子二人がウチにおせちを食べに来てくれた。先のデザートビュッフェの感じにならって、お重に詰めるんじゃ無く、それぞれの御膳におせちを盛り付けるスタイルにしてみた。ちなみに、アメリカに住む友達と言えばほぼ毎年、年末年始の帰国時にうちに色々友達を連れ立っておせちを食べに来たけれど今年はそれも叶わず。海の向こうで過ごす彼らのお正月の様子は、SNS上で互いに共有する感じ。みんな、本当は日本に居る家族に会いたいだろう。普段戦闘的に仕事に挑んでるだろうから、ちょっとは日本でゆっくりしたいだろうに。今年は尚。


 

 さあ。今年はどんな1年になるだろうとか、どんな1年にしたい、なんて言うフワフワした予測も希望も抱負もあんまり簡単に口に出来ないのを、この1年で痛いほど身に染みた。昨年初めの騒動から、まあ半年位我慢したら良いのかなあとか、そんな簡単な話で終わらないだろうなあとか、もしかしたら完全に収束するまで相当時間がかかるかもね、と言うネガティブな憶測も、正月明けのテレビをつける限りは年が明けたところで変わりばえもせず現実はどうやら厳しい。マスクは今や欠かせぬアイテムだからいっそ、機能面もそうだが快適かつ洒落ても見えるものを探そう、と言う気持ちのシフト完了同様、受け入れるしかない。

 うちの近所エリアの大きな病院も2カ所、年末からクラスターが発生してニュースで知る限りはようやく収束したようだ。たった道路と壁とガラスの1枚向こうには、言っても呑気な暮らしをしている自分なんて封印しなきゃならないほど、その内側の医療従事者の方々、そのご家族、そして患者さんやそのご家族を想像しても想像しきれないほど困窮されている筈だ。そのうちの一つは夜間の救急窓口もあるような所だから、通常の患者さん受け入れもままならない状況で、よく言われる「医療崩壊」と言うのは確かに、そう言う事なんだと言う現実だけは知った。

 

 いくらインターネットやSNSで可視化された互いの、あるいは全くの他人の日常となった所で、それはただ、分かるようになった、と言うだけでその差異が緩和されたわけでも、また認め合うきっかけになった訳でも結局無い。いやむしろ遠い昔から立場、身分、生まれた国、育った環境、身に降りかかった災害や政治情勢などにおいて全ての人が同期的に幸福でもなく平等でも無く、笑っている人もいれば泣いている人もいる毎日が、実は同じ時間軸で存在するのを容赦無く知ることになって、近年はそうした日々の膨大な情報や状況を関心と無関心に振り分けて受け流してきた。それが例えば他国で起こった内戦とかテロとか、余りにもかけ離れた状況だと身の置かれた状況から気持ちも遠くもなるが(と、いう言い訳の中で生きられるかもしれない)が、しかしこんなふうに、世界中がおおよそ同じトーンで包まれてしまったら、地球上のみんなが同じような状況下で、ほんの隣り合わせの一線を越えた向こう側では全く違った状況となると、一寸先は闇、明日は我が身、一体今、自分は何をすべきなのか、自分はどんな顔をして過ごしていいのか、自重して、構えて、思い詰めた心地に浸るべきなのか、あるいは時には笑ってもいいのか、喜んでもいいのかすらわからなくなる。これはこれで良いことなのか?怯えて最低限の節度の元に生活を送るだけで良いのか、まるで答えが無い。打ち勝てとか希望を持とうとか頑張ろうとか、それはまるで、決めたからには退けない、本来の内容とはかけ離れたお金がかかりすぎる、そして国vs国の勝った負けたに一喜一憂する事の象徴であるオリンピックの存在のような今や現実離れに似て、気持ちに全く沿ってない感じもするし、何より無理があってかなり自然じゃ無い。
 いや。必要か必要でないか。では測れないものも確かにある。それは人の数だけある。とも思う。

 発する言葉にブレが生じて、黙る。

 

 ともあれ、昨年は自分自身は仕事上ではほぼ通常通り取引先様には変わらずお声がけ頂き、この1年はなんとか無事に過ごすことが出来た。状況から振り返るに、これは本当に有難い事で、常以上に気持ちを込めて仕事に向き合う事にも心を砕いた。今年もいただいたもの、ことに対し、心を尽くそう。そう誓う。

 加えて、去年は私の人生の苦楽15年をずっと支えてくれた猫のやたろうが、18歳にして、先立った妹猫の元へと旅立っていった。しかし間髪入れず不思議なご縁があって新たな猫家族の「吹雪」を迎えることが出来た。この無邪気極まりない存在には本当に救われて、我が家のみんなにとっては今があると日々感じる。うちに来てくれたこと、そして紹介してもらったことに心から感謝を。そして、これまでいつ何時もそばにいてくれた猫たちにも感謝を。

 

 そんな、思えば有難い日々の中にも許されることなら。贅沢を言うなら。

 願わくば、決して多くは望まないけれど、出来るだけ早く、人と人が普通に行き来し、実像として気兼ねなく会いたい時に普通に会えるようになりますように。それは無くとも生きてはいけるものって、実は生きるためにかけがえなく必要なものだったって、わかる日が必ず来るから、取捨選択、簡素簡略の波に、本当に大事なものさえも一切合切消されてしまいませんように。身近なところから知った人から、心も体も辛くなってはいませんよう、そして取り返しのつかないその手前で、こんな距離感の中でもちゃんと大事な人たちの状況に気付けますように。そして互いに引き上げられる心の体力が、私自身にも残っていますように。

 明日のことなんて、実はこんな事になるよりもずっと前から、誰しもに分かろう筈も無いものだと改めて気づく。それでも生きてきたんだし、また引き続き命のある限り。大事に。

 

 日々を見失わないよう、ちゃんと生きていきたいと願う、2021年です。

 今年もどうぞ、よろしくお願い申し上げます。

 

 さあまだ、初詣に行けてないのでいつ行こう。お札を納めに行かないと。


最後に。今年のおせちの備忘録。今回のテーマも、昨年同様酒のあてになりうるお節。

 

1ー田作りは前年から、ミックスナッツとドライフルーツとごまめをワインとザラメでカラメリゼしたものに。プラス最後に溶かしバター。酒のあてに重宝。
2ー紅白なますで使用した酢は、今年は酒粕酢を用いたので大根が黄ばんで正確には紅白では無くなった。が、酒粕酢の自然な甘味や酸味の丸さが美味しい。
3ー大好物という程でも無い数の子を、今年はアボガドとむき海老と一緒に塩胡椒とオリーブオイル、柚子の絞り汁であえてみた。来年はもうちょっと酸味を効かせて、色味を保つようにしよう。

4ー香辛料をしっかり効かせたスモークサーモンと千枚漬け。
5ー黒豆レシピは伝説の土井勝レシピに沿えば間違いない。あえて言うなら灰汁をとった後は、ストーブの上に焼き網を二重にして鍋を乗せ、コトリとも言わないくらいに静かに炊くこと。水分量と煮る時間は本レシピよりやや多め。豆は手選別でほんとに上質で丸々した、丹波は小田垣商店さんの一択。
6ーきんとんの生地は、甘く練り上げたサツマイモにクリームチーズを練り込んで茶巾絞りに。
7ー伏見のじねんと市場で竹の子の水煮の良いのに出会えてよかった。出汁が決まって上手く炊けた。
8ー同様に、ふきも出汁が決まって美味しく炊けた。
9ー八幡巻のお肉は、昨年水害に見舞われた熊本は人吉からお取り寄せした牛肉。
10ー思わず良い鰤に出会って、いつもは照り焼きのところを柚庵焼きに。
11ー叩きごぼうも酢は酒粕酢を用いた。
12ーローストビーフは近江牛で。本体は日本酒ベースで。タレは肉汁に赤ワインとワインビネガー、バターと蜂蜜がベースに。
13ー鶏むねは皮をしっかり焼いた後はほんの少しだけ炊いて出汁につけて放置。大量の玉ねぎの甘みがしっかり浸透した。
14ー海老も出汁が決まって良かった。
15ー今回唯一納得いかなかったレンコンの揚げきんぴら。厚みが合ってないのと、やっぱり酢の物にしたら良かったな。
16ー写真に撮れてないけど、唯一温かいまま出す豚バラの煮豚。芋焼酎を水分の半分量使い、八角を諸々の根菜と共に忍ばせる。

 

 

毎度、例えば蟹とかアワビとか伊勢海老とかキャビアだとか、高級食材は全く使わないのに、買った方が断然、遥かに安いおせち。
毎年、方々のおせちカタログの誘惑には負けそうになるけど、まああと人生で一体何度おせちが作れるか分からないし、食べてもらえるかも分からないから、しんどいことも含めて、楽しもうと思う。

もしかしたらやらなくても済むことをやる。これも人生の大事な一部。自己満足の結果、たまたま誰かがそれを喜んでくれるなら、私も嬉しい。


谷口菜穂子写真事務所
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