その前は、誰と一緒に訪れたのかがまるで思い出せない龍安寺へ。
世界中の、たくさんのアーティストがこの地でインスパイアされ、作品を発表し、またその魅力に吸い寄せられるように、多くの観光客が年々、数を増して訪れるようになり、隙間の無い私はいつしか遠ざかっていた。
ホックニーの画集にある石庭のコラージュに触れると、ああそうだったなあと記憶を辿ることが出来るが、また実際に石庭を前にすると、意外と大きくも無く記憶とのかけ離れがある。でも、こんな時代になって、縁側の中央に座って眺めていると、やっぱり大きく広がりを見せるから不思議。
写真は、石庭のある方丈の片隅にある、水戸黄門として有名な水戸光圀から寄進されたと言う、龍安寺のつくばい。(ちなみにこちらはレプリカで、本物は普段非公開の茶室側にあるそうだ)。
銭形の水穴を「口」の字に見立て、周りの四文字と共有して時計回りに、「吾唯足知」(われ、ただ足ることを知る)と読む。
釈迦の教えである「知足のものは貧しいと言えども富あり、不知足のものは富めりといえども貧し」という「知足(ちそく)」の心を図案化したものだそうだ。
桜の知らせを便りに、四半世紀以上ぶりに訪れた龍安寺。ようやくと言うかやっとと言うか、こうした言葉に振り返るようになったのも、あるいはあまりに訪れる人の多さに、例えるなら風呂屋でぎゅうぎゅうの湯船に浸かった所で恐らく何も見え無いだろう石庭の様子に遠ざかっていて、こうして静かに訪れる事が出来たのも、それはコロナ渦によるところが大きいとしみじみ感じた。
それにしても、江戸時代前期にしてあまりにも完成されたデザインの世界。一体、私たちって。