先日、父親の勤め先の元同僚の方がご主人を亡くされたと聞き、お供えのお花を届けた。それをきっかけに、「私より更にお父さんと仲良しだった人が家に来るから、あなたもいらっしゃいよ」と誘われた。
偶然にも私の友達が暮らすマンションの、それも同じフロアの隣の隣で暮らす方で、ご主人を亡くされた事は友達から教えてもらった。同僚の方らは私が小さい頃にはよく可愛がってもらって、人の名前はすぐに忘れてしまうタチだが、よくよく覚えている方らである。最後にお会いしたのは、父親のお葬式の時なのでもう20年ぶり。まずは、再び縁をつないでくれた友達に感謝を。
今回来られた方も、1年前にご主人を亡くされたそうだ。思い出話に花が咲いて、昼から夜まで居ついてしまった。
私は残念ながら車だったのでお酒は呑めなかったが、お二人はスイスイとビールを呑み続け、タバコもガンガンに吸う。「酒の量、変わらないですか?」と尋ねると、「ビールやったら大瓶、10本はまだ呑めるよ」としれっと言われる。顔色も変わらず、明るく快活な様子を眺めながら、さぞ、この方らと友達だったのは、同じく酒呑みでタバコ吸いの父親も楽しかったろうと想像する。家庭と両立しながら定年になるまで仕事を勤め上げ、定年後は自分のお金で学校に通い、ボランティアをし、旅をし、飲み歩きが趣味・・・と、まさしくウーマンリブのお手本だ。もちろん、この世代の旦那さんとしてはかなりの理解者であったろう。共に近況を語りつつも、亡くなられたご主人への愛ある言葉も心に染みる。
さすがに最後はつまみのお皿を灰皿に間違えそうになられた様子に、圧巻年齢の女子会(!)はお開きとなった。
「今度はうちのベランダから大文字を眺めながら、三人でそれぞれのお父さんが帰られるのを見送りましょうね」と言われて、「今年の大文字は例年通りだったらいいなあ」と答えた。「まあ、今年の大文字はどうなっても。とにかく次訪れる時は、車で来ないように。一緒に飲もう」との事。
まだまだ、流行り物の病は巷を席巻し、「私ら年寄りが行けるお店もどんどん潰れたし、さすがに外は怖いし、ほんと、今は遠出しなくなった」と言われる。でも、今生きているからこそ、生きている者同士で直に語り合ったり、労りあったり、笑いあったりするのも人生の本領だ。
正解の無い事まみれの毎日だが、大事にしたい、と思うことはより、輪郭を増す。
そんな方らとの思い出話に個人的驚き話をひとつ。
父親のかつての職場であった、京都の「京都地方簡易保険局」(旧称。今は民営化されたので名前は違う)が、この初夏に立ち退き移転すると聞いた。
知らなかったがこの土地は地主からの借りものらしく、いよいよコストカットの手もここまで伸びたのだろうか。思えば、千人規模の従業員数で、野球の出来るグランドもあって、結構な台数が停められる駐車場もあって、昔はバラ園もあって、テニスコートもあって・・・と、民間企業と単純比較したら、一人ひとりの占有面積はかなり豪華であるとも、思われるかもしれないな。。。
建物自体は昭和41年生まれ(1966年)だそうだが、小さい頃によく訪れていた頃の印象と、古くもなく新くもなくで正直全く変わらない。あの頃はまだ、築浅だったろうに。そう思えば、簡素な作りだが特徴的といえば特徴的で、実は地味に良質な建築物、と、言えるかもしれない。さあしかし一体、立ち退き後はどうなるんだろう。
この建物の食堂から向こうには、ソメイヨシノがたくさん並んでいる。父のお友達は、「あの桜も、どうなるんやろうねえ」と言う。
昔、生前の父も、この職場の桜が大好きだった。退職後も毎年、組合主催の桜の会が食堂であって、最晩年の春も、入院中であるにも関わらず頑なに会合に出たがって、家のスーツやネクタイ、帽子を見繕って病院で着せて、介添えして私も参加したのを思い出す。
もう。本人は空の上からしか見れないだろうから、せめて最後かもしれない桜を見に、保健局を訪れてみる。
「京都で自分が好きな桜は、疏水沿いか、毘沙門堂か、常照皇寺か。。。やけど、一番思い入れのある桜は、やっぱり保健局の桜やな」と父親。「ソメイヨシノの寿命は、せいぜい60年ほどやし、樹勢から言うと、もうそろそろ終わりなんやけどな」と。そう言ったのも20年前。
残念ながら今回、もう知る人も居ない保健局には、敷地内には入れなかった。守衛さんと話すに、「数年前に結構枝を伐採して、桜も小さくなりました」と話されたが、いやいやなんの、確かに枝振りはコンパクトになってはいたが、これも20年ぶりに見た桜、花はまだまだこんもりと咲いている。
今一度ソメイヨシノの寿命を調べてみると、確かに60年ほどが寿命と言われつつも、しっかりと人が介入し、手当てをすればさらに寿命は長いらしい。その証拠に、青森の方ではりんご栽培のノウハウを生かして大事にされてる、弘前公園と言う所の桜たちは樹齢が100年を越えているらしいのだ。ちなみに、最高齢は130歳越え。
なんと。まるで、人間みたい。
・・・と、言う事で。
話は大きく逸れてしまったが、あれやこれやと懐かしい気持ちになって、会えない人には会えないしで、今年の桜は、昔、亡き父親と一緒に訪れてみた桜と久しぶりに再会すべく、以下、山科の毘沙門堂と、京北町の常照皇寺を訪れてみた。
コロナ以前の観光バブルでは、とても寄せてもらうことは出来なかった光景だが、今年はさすがに人も少なくて、かつて訪れた頃の、ほっこりとして微笑みを誘うような雰囲気に包まれていた。更に懐かしさが心に増した。
(追記ーブログ冒頭の写真は、京北の集落から常照皇寺の参道手前にある、とてもシンボリックな桜。お寺の桜も好きだが、この集落と参道の目印のような一本桜も、とても好きだ。背景も素敵だし、何より、常日頃、花の時期以外にも地域の方らに大事にしてもらってるんだろうなって、思うから。)