クライアントからのプレゼン用依頼で、過去作品を大きく遡る事になった。
時々舞い込むこの種の話のたびに家捜しする事になって大変なのは自業自得。やらねばならないリストの上位にありつつスイッチが入らなかった、仕事写真と作品ファイルの保存先完全仕分け。そうだこの際にやってみよう。と、重い腰をあげたら案の定とんでもなく時間を費やした。
仕事写真はそれ以前からだが、作品などは巷がデジタル移行してからも結構な間、私はフィルム派だった。それでもおよそ2006年頃からの約15年分のデジタル写真ファイル群が山とある。個人的には当時、デジタルカメラはサブ機と考えていて都度の整理に思いが至らなかった。よってMOやDVD-rやら年代別公私混在ハードディスクやら、残してはあれど保存先がバラバラだったのを、一括してスナップや作品だけのハードディスクにまとめるのが今回のミッション。やっぱり、フィルムの方が実体があるから仕分けし易い(そしてそれらの整理は過去にある程度出来ている。但しデータ化はほぼ未踏)。が、プリントしない限り実態の無いデジタルデータは今これをやらないと、ひょんなことで我が身が消えた時にデータも消えて良いやら、残された身内も多少なり困るだろう。その内実はほぼ、自身が消えたと同時に消してしまっても良いレベルの写真であっても。いやまあ、そんな悲観的な話は横にずらすとして、少なくとも自分の生きている間は保存先というのもその時々にアップデートしておかないと、データが消えてしまったり開くことが出来ないトラブルにも見舞われる可能性は大いにある。
今はまだ、それぞれの箱をただただ今後あるべき場所に移動させただけで、その箱ひとつひとつを全て開いては中身を確認するまでに至っていない(それをやるとどれだけ時間が必要か考えただけで震える)。ただ、ちょいちょい開いてみては、自分はこれまでに何が出来ていて、何が出来ていなかったか、何が中途半端で、表現と落とし所の悪い癖とその改善点など、大系的に見渡す事は出来た。これは、それなりに過去を見渡せるだろうと思って始めたホームページ作りとは、また違う感覚であり収穫でもあった。
とにかく私の場合2、30代の頃は、対象が多岐にわたってがむしゃらに写真を撮っていて、今となってはゴミ屑みたいな写真が山とある。定まってもいず、そのくせ思い込みが強い。よって「なんでこうも追求して無いかな」と、被写体に対して見落としも抜けも多い。が、泣きたくなるほど下手糞な写真の山の中に、総括すればダメでしか無いけど、ああ、と思うほど心は込めたんだなというのは伝わる、今の自分には決して撮れない写真が1枚、2枚、とかある。そして、これはロケハンのレベルで、今一度現地を訪れて、しっかり捉えなきゃならない課題的被写体も。
それにしても、写真というのはその時でなければ撮れず、行為としての過去に決して戻ることは出来ないが、自らの考え方や捉え方についての反省や批評と言った、過去の行為に対する振り返りはある程度塩漬けしておかないと難しく、撮った矢先では思い入れが近過ぎて客観的に取捨選択出来ない。その時には良かれと思って公表しても、数年すれば荒も見えて劣化も進み、やがては撮影時の感覚も意思も遠のいてしまう。だけれども、生モノだからその時その時に公表すべき、でもある。そしてその時々に我が目の代わりに見る側に批評を委ねるべきでもある。
折り返し地点。これからは、やりかけて、やりっぱなしだったテーマを追って終わるのがメインになるかもしれない。そしてまず、またいつの日か自由に空を飛べるようになったら真っ先に行かねばならないのが例えばサイパンだろう。戦跡をある程度訪ねた筈なのに、よくもこれだけしか撮らなかったなと当時の大胆さと大雑把さに心がグウと鳴る。
よく煮詰めて簡略したのか、勢いだけでまとめ上げたのかには大きな違いがある。そして本当に見えていたのか、あるいは全く見えていなかったのかを確かめたい。
さあこの連休中は、まずは置きっぱなしのファイルを紐解いて、自分を戒めることにしよう。
いずれ我が身が消えてしまうまでに、後悔のない残し方が出来る、写真が撮れるように。
(これらサイパンでの写真はフィルム撮影したものをデジタルスキャンしてデータ化したものである。)