週末に京の七口のひとつ、粟田口にある青蓮院門跡へ。
話は頭から少し傍に逸れるが、この辺りはその昔「粟田焼」という焼き物の産地だった。
京都の焼き物史の萌とも言うべき洛東粟田地域で生産された粟田焼は、その歴史を江戸初期にまで遡るそうだ。中でも青蓮院門跡の御用窯として栄え、お寺の門前にはその歴史を示す石碑を見る事ができる。
粟田焼は江戸時代を通して公家や武家の御用焼であったものの、明治維新で大きくパトロンを失ってしまった。がしかし逆境をバネに、開国と同時に海外輸出を盛んに行い逆転黄金期。ところが昭和の世界恐慌と二度にわたる世界大戦で、海外に軸足を置いていたのが仇となり産業として破綻。その後、なんとか粟田焼の火を守りついだ陶芸家らも亡くなられて完全に途絶えてしまい、今は再興に尽くされる作家による奮闘の火がひとつ。
青蓮院内の小さな売店の片隅で、素焼きにカラフルな彩色が手描きで施された湯呑みを見かけた。千鳥格子の箱に入って、見方を変えればちょっとレトロで可愛い。昨年のコロナによる閉門期間中、寺内の大掃除をした際に出てきた古い在庫だそうで、小箱に添えられたしおりには昭和39年10月吉日、と書かれている。
お寺の方曰く、「ちょうど先の東京オリンピックの年(開催年及び開催月)ですから、その記念にでも作ったのかな、だからこんな彩色なのかなと思いますが、詳しいことは分からないんです」との事。「私は仏教旗の色を取ったものかと思ったんですが」と言うと、「それもあるかもしれませんね」と。但し、縦縞の色は数えると8色ある。
ともあれ、当時のしおりには「かつての粟田焼の如く青蓮院境内に窯を築いて、窯開きとしてまずはこの湯呑みを試作した」と熱い文面が綴られている。つまりこの湯呑みは粟田焼の牙城で焼かれたのだから、確かに粟田焼という事になるだろう。がしかし、その後何らかの理由で作陶を継続発展させる事も途絶えてしまったのか。きっと意図も意義も、当時それなりに盛大だったろうに。
あれやこれや、意味深いなあと思わず買った。そんな歴史を背負って、プチプライスの3つ500円。永遠に答えの無いものの象徴とその記念。多分、箱のまま大事に取っておく事になる。
久しぶりに訪れた青蓮院門跡だが、私は何故だかこちらの池の鯉がとても好きだ。
鯉が好き、と言うよりその全体の環境がそう思わせるのだろうけれど、何とも、鯉が鯉らしい。ぼんやり濁った池にほんの少しだけ鯉が色彩を放って、それはどこからか風に迷い込んだ花弁がゆらりゆらりと水面に浮かんでるように見える。皆がっつきもせず、皆仲が良い。そう見える。
あとはなんといっても境内の大楠たち。これはもう圧巻の存在だ。
威風堂々。変わらないものの放つ安定感というのは、こうである、と、その姿で示してくれているようで、拝観はせずとも時々この辺りを自転車で走ったり、散歩したりして、この大きな楠たちを、時々私は眺めに来るのだ。