正伝寺。
京都は上賀茂エリア、五山の送り火のうちの「舟形」で知られる船山南麓の高台にある南禅寺派のお寺。
昨今では「デビッド・ボウイが涙した寺」として銘打たれる事も多い、伏見城遺構を方丈とし、比叡山を借景にした枯山水庭園を有するお寺である。
かつてデビッド・ボウイが頻繁に京都を訪れていたのは有名なお話だが、「涙した」と言うのは約40年前に公開された京都の某酒造メーカーの焼酎CM出演時にて、ロケ地をこちらの「正伝寺で」とデビッドボウイ自らが指定し、その撮影の合間、庭園に佇み涙した、と言う逸話が元になっている。
この時に立ち会った酒造メーカー会長曰く「(地元でありながら)彼に教えられるまで正伝寺の存在を知らなかった」そうだ。確かに、京都市内数多の寺社でも本当にぼつんと、今でこそ宅地開発されて裾野には家々が立ち並ぶもののアクセスは悪く、近隣に梯子できる有名寺院も無い孤高の存在にして、地元民は知らないけれど、他所の人が知っていて逆輸入的に教えられるような、そんな典型的なお寺。
付け加えるなら「行ったところでデビッドボウイに会える訳でなく」とシニカルを貫いて時流から遠のき、まあそのうち行こうかと思ってる間に時は過ぎる京都と京都人あるあるの関係性も体現している、と言う感じか。
ちなみに、私は当のCMに関してはまだ小学生の頃で記憶が無いので今更youtubeで見てみたが、ロケ地自体の素晴らしさは残念過ぎるほど生かされていない被写体寄り寄りのカメラワークだった。そして白砂の上に座っている姿は一日本人としてなにかハラハラ。
あえてロケ地を秘匿したかったのか、諸々深い隠喩でも込められてるんだろうかもっぱら雰囲気だけなのかは謎。が、映像表現は劣化していようとデビッドボウイはひたすら美しい。
さて、今やそんなこんなで被写体も本当に神の領域へ行かれて聖地巡礼、流石に訪れる人も格段に増えたろう。
これはこのお寺に限った話では無いが、年配者に限らず、昨今SNSで取り上げられがちな社寺には一昔ではあり得ないほど若い世代をよく見かける。勿論で、その主目的はひたすら写真の撮影及び拡散で、分析するともう既に誰かが撮った絵の上書きを同化同調すべく重ねたいか、あるいは自分だけの視点を必死で追求するか、またその絵を無数で追うかの連鎖。いずれにせよネット上にはその場の写真、写真で溢れかえっている。中には本当に息を呑む素晴らしい写真もやたらあって、写真が生業だなんて、もう自分で言うのも恥ずかしいし真摯な気持ちを思い起こさせて頂いてもいる。
何でもかんでもまずは写真と、度が過ぎた傾向に対して時代は変わったと憂う人も一方では見かけるが、何も今に始まった事でなく、SNS以前の一昔前もそれは酷くて、京都の神事など伝統行事などは特に、アマチュアやセミアマのおじさんカメラマン達が群がって怒号を交え、三脚や脚立で場所取りする我が物マナーの悪さは相当なものだった。そのあるまじき光景は、その場に出会すと何もかもが萎えて純粋にその場を感じたい人が遠ざかるには充分過ぎた。
それらにとって変わってのその後の、ある意味では今の若いカメラ世代(というかSNS世代)の方が、機材もコンパクトだし静かだし無言でそれなりに譲り合うしで、可愛いと言えば全然可愛い。
(ちなみに、こうした状況を受け入れる側の社寺などはどうなっているかと言うとある意味で二極化していて、積極的に若い世代を取り込むべくあちこちに映え狙いの仕掛けや装飾をしたりSNSで自ら呼びかけ発信したりする所と、その逆で以前なら写真も撮れたはずなのに禁止になった所や禁止を謳う注意書きだらけになって以前の様に縁側でのんびり、なんて出来なくなってしまった所と分かれている。勿論、そもそもで時流に疎いまま以前と何も変わらない所も。)
ともあれこれは全くの自責の念なのだけど、がしかしどんなに遠慮しても静寂の中で鳴り響くシャッター音や(これは消せるはずの)フォーカス音の、私のと、その他の人のが空間のあちこちで鳴ろうものなら、聖域に広がる静寂とせっかくの結界を保った現世との区切りや空気感は簡単に崩壊し、つくづく写真を撮る行為、はたまた自分自身がとても卑しく下世話な存在に思えて内心泣きそうになって、帰路にはなんとも言えない後悔と、その極めて曖昧で矛盾した意義の押し問答が続く。
一方で思えば、広告系の映像撮影ともなれば相当な機材量と人員の中、その撮影の合間に涙したとするデビッドボウイの繊細で崇高な集中力と精神性には想像してもとても及ばないが、これはごめんなさい我々下々の者はロケハンですからと、一刻も早く、少なくとも地元が地元であると言える様にせめても我が街に対する見識は広げたいし、巷に溢れかえる誰かの目を通した本当か嘘か分からないレタッチ全開の脚色写真などで無くて、実際には如何なるものかを自分自身の目で踏まえておきたいし、その中でも自分の中で特に感じ入れる場面には、いずれはもうカメラなんか決して持たずにその場を訪れる境地に至りたい。そう切に思う。いや本当に。
絵画を見るときの様に。演奏を聴くときの様に。本を読んで想像する様に。
多分、本当に見える筈のものは、ファインダー越しなんかでは実は全く感じられていないと思うから。
「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、目には見えないんだよ」って。
サンテグジュペリ「星の王子様」は返す返すも真でしかない。
正伝寺の歴史などはお寺サイトの正しい説明に任せるとして(美しいサイトです。ちなみに、昨今お寺のサイトも時々かなり、シンプルで美しいデザインのサイトが増えた)、このお寺はかつて、長い歴史の中での動乱といよいよの明治の廃仏毀釈で相当荒廃したそうで、その後、作庭家の重森三玲が中心となって、庭が作られた江戸時代初期の元の姿に復元、修復されたものだそうだ。
途中加えられた石が取り除かれ、白砂と植栽による見立てだけのシンプルな姿に蘇ったその後の現在。庭園の向こうには比叡山を望み、その山裾は近景の樹林に縁取られ、眼前の世界はこれらの遠近法によって無限の印象を与える。
皐月などの刈り込みは向かって右から七・五・三形式になっていて「獅子の子渡し庭園」と呼ばれており、国内の庭園で(岩で無くて)植栽による表現としては唯一だそうだ。しかし何より、石の配置や扱いが極めて特徴的とも思える重森三玲の様な作庭家が、作るばかりでなく復元などにもご尽力された姿を時々の古刹巡りで出会う度、その生涯に渡る修練と筋の通った在り方には心から尊敬の気持ちや、結果として今それらがここにあることへの感謝の気持ちが湧く。
ちょっと話は逸れるが、年末におこわなれて昨今毎年通う「しめ縄作りのワークショップ」ではやはり、向かって右から7、5、3と束を数えて「〆の子」と言う藁の装飾品をつけるのを思い出す。七五三と言えばあの子供のお参りの。。。と真っ先に思いつくが、今更調べると「しめなわ」は漢字では「注連縄」「七五三縄」とも書き、一般的に知られている様に場所を区切る、世俗と神の領域を分ける存在として現在に至る。
古代中国では七、五、三の奇数は要数と言われ、逆に偶数は隠数とされ、このしめ縄によって神の領域に陰が入らない様にすると言う意味があったそうだ。また、それぞれの神の名の漢数字から来ているなどの諸説もあるが、いずれにせよ結界の意味合いを持つ。そこから勝手に思いを馳せれば、中国の故事に由来する禅問答の様な庭も、我々俗世と、その彼方の聖域のちょうど結界の様にも思えてくる。
まずそもそもの根本からして枯山水の庭とは、あの世とこの世を繋ぐものとして存在するのだから、意味を説けば相当な写実の世界なのかもしれない。
こちら正伝寺の竹林のすぐ向こうはゴルフ場が広がっていて、竹の風にそよぐ音の合間に時折、ゴルフボールの弾かれるカーンとした人工的な音が突出して鳴り響く。がしかしこの音が枯山水庭園の静寂までは届かないのはつくづく幸いに思う。
お寺がある舟山と、賀茂川を挟んだその東側に広がる上賀茂神社の北側聖域には二つのゴルフ場があって、その二つは同じ母体の会社が運営しているそうだ。この会社のサイトにはゴルフ場建設時の沿革が記載されており、それによると戦後直ぐ、GHQによる「軍人のためのレクリエーション」施設として戦後京都の一大プロジェクトとして計画され、膨大な予算捻出と神社側からの計画反対によって一時頓挫しそうになった所を当時の京都府知事による「京都の将来の観光資源になる」という後押しがあって計画は続行され、今日に至ったようだ。
神社側のゴルフコースは1948年(昭和23年)に、その後朝鮮戦争特需で新たに着工されて1962年(昭和37年)にこちら舟山側のコースは完成されたらしい。
100年どころか手の届きそうな過去の時間の流れにあっての今。
「京都の観光資源」との先見の明が果たして当たっていたのかどうかは今となっては全くもって疑問だが、一方で変わらないもの、変え難きもの、不動のものに囲まれる私たち。憂うものは今に始まらず過去から既に(常に)あって、カメラの音を微かに鳴らしてみたり、いたずらに場を踏んでみたり、小さな球を追いかけてみたりして、可愛らしくしてる分にはまだ良いのかも知れない。しかし心の片隅にでもせめて、雨の日も風の日も誰も来ぬ日も門戸を開けて、あたりを整えて、守り、迎える存在について、その存在の何故について、また維持出来ているおおよそ平和な社会にあって、その貴重さを噛み締め、我が身の行為を振り返る気持ちだけは忘れてはならないしまた、いつか正しく今この恩恵を未来へとお返し出来る人で、在らなきゃならないだろうなとは深々と思う。
念押しして、あくまでも自戒として。
追記。
帰路同じく道中が重なった初老のご夫婦。門を越えてから奥様へご主人静かに曰く「どうやった?」「やっぱり皐月が咲いてない、花なんて何もない前に来たときの方が僕は良かったな」。奥様も静かに頷く。なんとも良い空気。