· 

お正月の一休さん。


 

 年末。ここのところ毎年手に入れるようになった、全国の土人形元祖にして伏見稲荷界隈に現存するただ一つの伏見人形の窯元「丹嘉」さんの干支人形。

 ビビッドな色使いに独特の表情が愛くるしくもウィットに飛んだ干支人形は、今年の寅もまたとても素敵。集めだした頃は早く全部揃ったらいいなあなんて、呑気な事を考えていた。

 さあ、寅もやってきた事だしそろそろ丑は箱に仕舞おうかとしたところで、どきりとした。ああこの牛、次に箱から出すのは12年後。えっと私、その時何歳になるんだっけ。。。そんな事を考えたら手が止まった。

 12年後。積極的に生き急いでいた若い頃には果てしなく遠い気がしていた年齢に到達する。が、確かにそれが近付いてきたらやっぱり、果たして無事でいるかなんて全く保証が無いことを思い知る。と言うか、誰にもそんな保証なんて本来無いんだ。

 

 ご存知の方も多いかと思いますが、あの、四十代以上の方なら誰しも子供の頃にアニメで親しんだだろう我らが一休さん(一休宗純)の詠んだ句に、

「門松は 冥土の旅の一里塚 めでたくもありめでたくもなし」

と言うものがあります。

 ある年のお正月。街のあちこちで新年の挨拶が行き交う中、一休さんはドクロを杖に挿してこの歌を詠みながら練り歩いたそうです。「あの世に一歩また近付いたとはめでたい事だ。正月に飾られる門松はまるで、冥土へ向かう道に築かれた一里塚のようだ」「新しい年を迎えると言うのは、死に一歩近づく事。一体、正月の何がめでたいもんか」と言う訳です。

 アニメではとんち破りの愛くるしいキャラで描かれていましたが、実像はとんでもなく風狂で皮肉屋だったそうな一休さん。ドクロを掲げて練り歩く不気味な僧侶の姿は、お正月だ、めでたいめでたいと言う街中のお祝い気分に水をさすどころか、京の街の人々は正月三ヶ日は外に出ないと言う風習が広まったそうですから、当時は一石を投じるどころの騒ぎでは無かったんでしょう。

 もちろん、今ではお正月の京都はと言うと、疫病継続もなんのそので人で溢れかえっています。つまり、比較すればコロナ効果より一休さん効果ははるかに凄かったと言うことになるかもですね。それだけ、死の影というのはもっとリアルで身近で、また恐ろしいものだった。

 素朴なものや、優しくも驚異である自然に近いと命の儚さを思い知ることは容易でも、現代のこうも、安心と安全に守られて自然環境から遠く、無邪気なテクノロジーが過ぎて、万能を凌駕することにばかりに集中すると、いずれは誰もが死ぬなんて事はお構いなしで永久に生きられそうな幻想に包まれてしまって、そんなことはよくわからなくなるのかもしれません。

 むしろ逆に、変わらないこと、持続性や永遠性への恐怖や強迫観念の方が、高まっているのかもしれない。そして他と比較して抗うことに注力し過ぎて、疲弊してしまうのかもしれない。

 このお話に触れて、「ありがたい」と言う言葉を漢字で書くと「有り難い」となり、これは有ることが難しい、つまり「有り難し」と言う心境そのもので、人生というものは当たり前にあることでも無限でも無く「生を慈しむ心境」に近いと、とある禅寺サイトの解説に書かれていました。

 生と死は表裏一体。自分が今ここに「在る」ことは実は「有り難い」こと。「めでたくもあり、めでたくもない正月」とは、生きることと死ぬことが一体としている、つまり新年を祝うことはまた、死の近づきを祝ってるということなのだから、それをよくよく認識しつつ、日々を大事に生きましょうね、と一休さんは説かれている訳です。

 と思えば、お正月と言うものがただただ華やかで、めでたくて、単純明快に幸せなことでは無い、もっと深い意味があるように思えて、やっぱり、普段なんとなく慌ただしく生き急いでしまう1年の中の、貴重なリセット期間である「お正月」と言うものの重要性がより真実味を増してきます。

 その昔は、それぞれの誕生日で無く新年を迎えてみんな一斉に年を取った(数えた)そうですが、新年を迎えるにあたり、年を重ねることの意味を改めて全体で捉えられて、こうした一休さんの教えも、ある意味で伝わりやすかったかも、しれないですね。

 

 さて。昨年の12月25日には義理の叔父の四十九日が行われて、葬儀の際に有り難いお話をして下さったお坊さんが再び、四十九日の意味と救いになるお話をして下さった。

 曰く四十九日とは故人にとってあの世のお誕生日になるのだそうで、「これからは皆さんご家族と故人の在り方や関わりがまた新たに始まる日となります」とのこと。いとこはそれを聞いて「12月の25日が新たな誕生日ってか。仏やらキリストやら、親父もエライ最強やな」と笑った。

 帰りに叔父の写真を一枚貰って、年末の神棚掃除の後に父親の写真の横に掲げたらまるで、生前は割合馬の合うもの同士だった父と叔父が昔同様語らってるように見えて嬉しかった。どちらも九州男児で目鼻立ちはっきりの顔同士。仁王さんのような、阿吽のような。なんだか実に心強い限りである。

 

 これも小さな私ごとですが昨年で、初めてギャラを貰っての写真を撮ってから25年の時が経った。紆余曲折、アシスタント時代から数えたら一応30年。長くもあり短くもあり。その間、いろんな方のお支えとお声がけによって月日が経ち、お陰様でお会い出来た方、この仕事でなければけっして行けなかった所、見れなかったもの、勉強になった事、振り返ればとてつもなく貴重で得難い機会や経験を頂けた。

 一方、アスリートでは無いけれど、まあまあ体も心も使うし無茶もしたので病気や怪我にも見舞われたし、時が経っても綺麗事では語れないキツい出来事もいくつかあったけど、ここに至るまで仕事を完全休業するとか、返事した仕事の穴を空けてご迷惑をかける事も無く、要は全く命に関わる程で無ければ心が完全に折れる事も無かったのは、改めて、本当に有り難い事だとしみじみ思う。

 これも元はと言えば基本的には丈夫で時々程々のケアを必要とする体、あんまり悠長にしてられない必要最低限の基礎環境を、本来は呑気で怠け者で物思いに耽けがちな自分に与えてくれた、親やご先祖様に感謝である。

 

 さあこれからもどうぞ、いろんな方の生き様を参考に、また今や語らぬ人を頼りに、世の中に存在するお知恵や閃きを方々で頂戴しながら、毎日毎日を出来る限りちゃんと、生きようと思う。万策尽きるまで。いや、万策尽きた頃には、細胞もボロボロでリセットも叶わないんでしょうから、それまではちゃんと。

 昨年の日々のニュースでは、コロナもさることながら「命」にまつわる重い、悲しい話もたくさんありました。いや、この世の中の多くの悲しみや憤りの対象は「命」にまつわること。その扱いやそれぞれの考えについて、かもしれません。多くが答えを見失ったまま、辛い今日はとりあえず生きることをやめてしまって、また明後日にでも生き返れるような幻想を抱いているのかもしれない。でも、そんなリセットはあり得無い話。ただし、生きていれば必ずまた、楽しい時間も重ねられるはず。とにかく生きよう。生られるまで。ね。

 希望や夢にまつわる対象だって、結局のところ「命」です。


  と。年末、とても久しぶりに電話で喋った兄貴様から、「お前いっつも長ったらしい気難しい文章書いて。なんや病んでるんか?」と突っ込まれて、いや、SNS見てるんかい(笑)と逆ツッコミしながら、ああ、こんな駄文でも読んでくれてるのかとしみじみ。

 こうして今やネットでうっすら繋がる兄妹ですが、これもお互い無事でいる証拠。自分とごく近い家族の形すら時が経てば変わっていくのですから、全ての物事はもちろん自分も含めてスライドしながら、当然変わっていくんだと。だから、あの時あの瞬間を愛おしく振り返るものがあるなら、その時その時、今の今を有り難く感じながら、大切にするしか無いんだなと。

 そう、つまり病んではいませんので真面目な話はここでおしまい。

打って変わって今年のお節と、張り切ってうちの愛しい小さな寅たち、年女たちを改めてご紹介しましょう。

 今年のお正月はちょっとほんとに一休み、恒例の友達も呼ばず、おツレはまだ今年も帰郷しないと言うので、気合いは抜いて、ニの重はガッツリちらし寿司にした。一の重は好きなものばっかりで。お正月の食材って、よくよく考えたらちらし寿司の具材にかぶるよね(そして楽出来るかも)と思っての事だが、なんだかんだ、部品それぞれの味付けやらで結局手間がかかると理解した。

 元旦は鷹峯の松野醤油さんの白味噌を用いてのお雑煮。次は合鴨のつみれでおすましに。

 今回の一番の個人的ヒットは改訂版栗きんとん。さつまいもに蜂蜜、牛乳、抹茶、抹茶リキュール、クリームチーズを混ぜ込んだら見た目も綺麗で甘いだけじゃ無いしっとり美味しい栗きんとんに仕上がった。

 このお正月で改めて再認識したのは日本酒のひや(吟醸や大吟醸のようなのが尚)のチェイサーには、あったかくて濃いめの緑茶がめちゃくちゃ合う!と言う事。緑茶はいつも叔母から送ってもらう鹿児島の茶葉。知覧茶に代表される通り、鹿児島のお茶は味が濃くて深くて甘苦いんですが、これがもう、最高に日本酒に合うんです。。。
 思えば日本酒の原料は米。そこにお茶とくればもう、液体お茶漬けですよね。合わない訳が無い。まったりしたお酒を緑茶のさっぱりで拭う。これはもうエンドレスで危険行為。笑

お正月休み中に撮影した、我が家の小さな寅たち。

年女其の一。まりこ嬢。今年の春で9歳。
猫が若干苦手で人間のお客様は絶対無理、自分より弱そうな同族にはちょっと意地悪。変化に弱くて寂しがり、家人にだけ懐く寛容度の極めて狭いメンタル繊細猫。年甲斐もなく若手と追いかけっこを気まぐれにするので、メタボからちょっとだけ脱して締まりました。

寝るときは必ず私の足元で寝るので寝返りが打てません。ちなみに、毛質が最高級に気持ち良い。

年女其の二。ふぶき嬢。今年の春で二歳。

うちで唯一お客様に挨拶出来る猫にして我が家のムードメーカー。あんまり天然マイぺの愛されキャラなので、まりこ嬢には少々やっかまれている。

寝る時は布団に潜り込んで私の横腹で寝るので、こちらとしては撫でてる間に寝落ち出来る究極の安眠グッズ(秋冬限定)。

何故か餡子が好き(こし餡派)。そして犬用ペットシートで用を足す不思議ちゃん。

年女其の三。ざらめ嬢。今年の春で二歳。

人間のお客様は苦手ですが猫に対する忖度は天下一で、まりこ嬢には空気を読んで気を配り、ふぶき嬢には好き好きアピール。

野良猫の頃からすると劇的に毛並みがベルベットのように良くなり、日々、我々に心を開く行動を小出しにしてくるので毎回小さい感動を与えてくれる。泣き声は一番可愛い。ただし爪はまだ、絶対に切らせてくれない。


 と。

 我が家における防災への心得や人生における危機管理は万全ではありませんが、日々の心の安寧対策はバッチリ。
 このような体制にて、2022年もまずは健康に、無事に、過ごして行こうと思います。
 どうぞ今年も一年、よろしくお願い申し上げます。

谷口菜穂子写真事務所
Copyright© Nahoko Taniguchi All Rights Reserved.

 


商用、私用に関わらず、サイト上の全ての写真やテキストにおける無断での転用は固くお断りいたします。

Regardless of commercial or private use, we will refuse diversion without permission in all photos and texts on the site.