4月頭に出張で仙台へ。
関西に居るとなかなか縁の無い東北地方にあって、初めて訪れる仙台。やっと来れた!
仕事自体は翌朝からなので前乗りして散策出来る範囲を歩く。(言っても本丸は仕事なので)欲張りせずに古いものと新しいもの。一つづつ選択してみたのが、伊達家ゆかりの「輪王寺」と、建築家・伊東豊雄による「せんだいメディアテーク」。
輪王寺は池泉回遊式庭園を有し、大きく全体に散策出来るのが気持ち良い。まだ梅の花が残っていて桜は全然。空を飛ぶ前の関西はもう染井吉野が終わりを迎えていた頃なので、やはり気候が随分違うことを思い知る。きっと本格的に春の花々が咲く頃には美しいだろう。そう思った。
仙台市内の主要道路はいずれも大きな並木通りになっていて、それも10階建てのビルに相当する勢いで伸びる立派な大木ばかり。これも新緑の頃にはさぞ美しいだろう。紅葉の季節も、雪花のつく時期も美しいだろう。空に自由に伸びるその姿を眺めながら、昨今、地元京都や大阪などの街路樹はどうして強剪定が過ぎるなと振り返る。紅葉も落葉する前にはなんともみすぼらしいほど枝を打たれてしまう。落葉の始末に苦情があっての事だろうが、こうして仙台の街並みを望むとき、その街の寛容度が知れる気がした。
そんな街中でも一際異彩を放つ建物が「せんだいメデイアテーク」で、何にも考えずにふわあっと構造に吸い寄せられて建物内部にカメラを構えてしまったら受付で呼び止められた。「館内は撮影禁止です」と言われるかと思えば、慣れた様子で撮影許可のステッカーを見えるところに貼ってくださいと言われ、基本、肖像権等モラルを守れば全館撮影自由との事。素晴らしい。
「美術や映像文化の活動拠点であると同時に、すべての人々がさまざまなメディアを通じて自由に情報のやりとりを行い、使いこなせるようにお手伝いする公共施設」(←公式サイトからの引用。良い文言ですよね)とあるこちらは、図書館・市民ギャラリー・映像ライブラリーを主とした施設にて、2001年に誕生したそうだ。その間、2011年には東日本大震災に遭い、記録では大きく被害を受け、復活を遂げつつ被災地の公共施設として、「人々や情報の持つ力を繋ぐ『結節点(ノード)』となるべく」その役割を増強させているようだ。ちょうど震災における記録を体験型のアート作品として昇華された形で展示もされていて、その内容がとても素晴らしかったので、是非、これらを被災地以外の全国でも、巡回してもらえたら。。。と強く感じた。
個人的には、私は全く建築というものにド素人で、どれだけその業界では超有名な建築物であったとしても、現代建築と言うものには普段あまり興味が湧かない。何故なら、建物の様そのものよりも、その空間に漂う空気感とか、時間の体積とか、歴史物語とか、使う人、繋ぐ人の重なり合いのようなもの、要するに人の気配がするものにより惹かれるからだと思う。で、この建物はどうかと言えば、こんなにもビキビキに現代的な建物であるにも関わらず、ちゃんと普通に市民の人たちが集って、使って、慣れ親しんでいる空間である、と言うことにとても好感を持った。
図書館に至っては顕著で、平日であるにも関わらずとてもいい感じであらゆる年代の人たちで賑わっている。フロアは2、3階と分かれていて、しかも児童書と大人たちの本のフロアが分かれている。児童書のフロアでは授乳室はもちろん、恐らく薄暗い、お母さんとお眠でグズる小さな子供が落ち着ける小部屋なんだろう「静養室」なるものまで設けられていて、しばらくギャン泣きしてた赤ちゃんがそこできっと寝落ちしているようだった。本棚は大きな空間が見通せるように大人の背丈くらいになっていて、どうも昨今流行りの見せる(飾る)壁一面のやたら高い(どうやって本を取るのか謎過ぎる)本棚図書館とは全く違う、本当に使える図書館だろうなあと好感を持った。
仙台の街は、今、目の前の何事も無かったかのような落ち着きのある都会の様子だが、きっと震災の際には、大きな被害を受けた事だろう。それでも、大通りから一歩入れば庶民的で昭和な佇まいの飲み屋街や市場なんかもあったりで、大事なものが大事に残っている。よって、街歩きがもっと面白そうだ。
また是非、今度はプライベートで訪れてみたい。