先日、体メンテに初めてMRI検査なるものを受けた。
検査士さんから説明を受けて「狭いところは大丈夫ですか」「大きな音が出ますので」など言われましたが、大きなトンネルのような本体の絶え間ないベース音に、様々な音色の電子音が細かく断続的に鳴り響き、トンネルに入る時はなんとも仮死状態のような心地、目を開ければ宇宙スペースのような色目。これ、説明の時に「スチームパンクのような」とか「キューブリックの世界観」とか、「アンビエント系です」とか言われたほうが、何かしらイメージしやすかったかなあと思った。
なんと言うか、自分がモノになったような、音と狭い空間しか無い世界に諦めの中で閉じこもったような、そんな心地。
そこらへんのテクノパンクなんかよりずっとある意味、面白かったです。
さて。
近くだし行ける行けると伸ばしてしまって、気づけば閉演まで残すところ後1日、という今日、ようやくブライアン・イーノ「AMBIENT KYOTO」展へ。(注ー会期延長にて9月3日までと、帰宅後知る。)
元銀行建物で行われた音と映像のインスタレーション。個人的には、90年代頃にこのような表現方法を羨望し、自己と環境を繋ぎながらどうしてあるテーマ性について表現出来るだろうと模索し、またいろんな意味での挫折と限界も味わったものだが、会場には我々より若い世代が多く来場していて、もう、今時ビキビキのメディアアートやインタラクティブアートを楽しみ、またスマホに収めるなどの手法で自らも参加を楽しむ世代にしてみたら、スマホで撮るにも薄暗くて二次元では極めて捉え所も難しく(そもそもで空間演出として二次元化を拒否してもいるかのよう)、かつ今や電子音楽とは言え全体として相当な(普遍とも言える)アナログ世界をどう捉えてるだろうか、率直な感想を聞いてみたくなった。
コロナ前、コロナ後の今。無音のような領域とのある種の垣根が無くなったこうしたアート。
本当に、今だったんだろうか。それとも前、だったんだろうか。あるいはもう少し先、だったんだろうか。
私には答えが見つからないでいる。