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色々お初。色々発祥の地。岩手県盛岡市へ


 NYタイムズ紙が発表した「2023年に行くべき52カ所」にて、1位のロンドンに次いでなんと2位にランキングされた岩手県盛岡市。東京からのアクセスが良く、人混みを避けて歩いて楽しめて、東西様々な建築美学が融合した建物が多く残されていたり、食文化や近隣温泉なども魅力の場所として、世界ランク2位を獲ったそうだ(ちなみにランク内では日本だと福岡が19位)。

 一関西人からすると、西日本はある程度親しくとも、東京から更に上の東日本はちょっと縁遠い。近所の旅好きトンカツ屋の大将とも「関西からだと、ポンと飛んで北海道に行くことが多いよね」と喋っていたばかり。今回仕事で初の盛岡へ行かせていただく事が叶った。楽しみだ。

 

 関西からの人流がそう無いのを証拠に、更に遠い筈の北海道より旅費が高額で便数も少ない。ので、経費を抑えるべくこれまた初の神戸空港からJALと提携しているFDA(富士ドリームエアラインズ)で花巻空港へ前乗りすることになった。一見面倒そうな旅程だが、鉄道沿線の人だと三宮で降りてポートライナーとアクセスも良好な神戸空港。コンパクトなので敷居が低く、なんだかんだで大容量の伊丹より使い勝手が良いかもと感じた。FDAも、飲み物サービスに焼き菓子が添えられたり、客室乗務員さんたちが手作りされた、窓辺のお供として空から見る日本各地のご当地自慢マップが配られたりと、小さなサービスがなんとも心優しくて和んだ。

 花巻空港から高速バスで盛岡へ。着いて急ぎホテルに荷物を放り込んで、1番に向かったのは閉店まで1時間しか無い民藝の聖地「光原社」。

 こちら「光原社」は盛岡を代表する作家の一人、宮澤賢治による童話にして生前唯一出版化された「注文の多い料理店」を発刊した場所だ。

 なんでも、創業者が盛岡高等農林学校(現・岩手大学農学部)時代は宮澤賢治の後輩であり、光原社という社名も宮澤賢治により名付けられたそうだ。元は農薬の製造販売や農業教科書の出版をしていた創業者が宮澤本人から膨大な童話原稿を預かった事をきっかけに「注文の多い料理店」を出版することに。けれど当時はほとんど売れずに在庫を抱えて事業としては失敗。再起をかけて農業書の販売で各地を訪ねる際の手土産として好評を得ていた南部鉄瓶を売り出すことにし、製造販売に着手。錆止めの黒漆から漆器に。。。と扱う範囲が広がり、出版から工芸販売へ移行。民藝運動の提唱者・柳宗悦らとの交流と共に名だたる工芸家達のサロンと化し、喫茶やギャラリーを併設した工芸品店として、今で言うライフスタイルセレクトショップの先駆けとして現在に至る。

 

 見渡すと、このお店全体をお手本とした全国に散らばる光原社風ショップの多さたるや。ある音楽を聴いて、そのアーティストが影響を受けた音楽を遡って聴くと、なんだそんな事かぁと、つくづく思い知る感じ。オリジナルって、やっぱり凄いし尊い。

 とにかく「手仕事」とか「用の美」とか、人の手を感じる美しくも日常で使える工芸品が好きな人間にとっては、欲しいものしか無いトレジャースポットで溺れてしまう。中庭を囲んだ店作りはまるで小さな村の様でいつまでも居られるが、個人的には初回は時間が限られていて良かったとも思う(苦笑)。本当なら年に何度か訪れることが出来て、日常のご褒美として一点モノをゆっくり選ぶ、、、と言う流儀に則れたらなぁ。。。

 

 さて、宮澤賢治と言えば、小さい頃は「注文の多い料理店」よりも「セロ弾きのゴーシュ」が私は好きだった。数十年来ぶりに読み返してみると(いずれの宮澤童話に共通して言える事だが)、セリフ構成で物語がほぼ成り立っていて、まるで落語みたい。だもので、芝居上手な親が読み語ると凄い事になる。また、中学生の頃に「銀河鉄道の夜」が映画化されて、観に行ったのは京都の祇園会館だ。使い古されたシートに沈んで薄暗い映画館でみたそれは空間共々なんとも親和性があって、観賞後すぐに生前最後にして未完の原作も読んだ。あのぶつ切り感が、宇宙空間の無音の世界にも似て悲しいのかも、切ないのかも、空虚なのも温かいのも振り切れない所に人生のリアルや死生観みたいなものが思春期の自分には響いた。映画の音楽は、今更ながらYMOの細野さんだったんだなと知る。

 

 民藝の聖地にして、宮澤賢治の聖地。驚きと揺らめきのままとりあえず去る。またいつか今度冷静に居られる様に。


 翌日。仕事自体は昼からなので早起きしてバスに乗って岩手大学農学部へ。

 昨日の宮澤賢治のゆかりの地を尋ねる、と言うよりかは、街に残る歴史ある建物を時間の許す範囲で見ておこうと思ったまで。時に街のアイコンであるそれらを訪ねることで、何百歳を数える街の仙人とは語れずとも、例えばこれまでの歴史についての(シームレスに繋がるべく残されていれば尚よしとして)断片的な語り部であったり、あるいはその土地の風土とか、県民性を象徴していたりして、時間が無い中でその街を知ったり興味を持つ早道として、実にわかりやすいのが有形物である歴史的建造物だったりもすると、個人的には思っているが故だ。

 

 朝から弱い雨降るキャンパスはひっそりしていて、農学部内の植物園は森の様。小さな生き物達の営みが感じられる。そんな中に建つ「旧盛岡高等農林学校本館」は、日本で最初の高等農林学校として明治35年に創立されたもので、現在の岩手大学農学部の前身だ。建物自体は大正元年に建てられ、平成6年に国の重要文化財指定を受け、現在は農業教育資料館として役目を担っている。建物の前には池とその周囲が散歩道となっていて、睡蓮が雨の波紋に無数と浮かんでいた。

 建物内部は写真撮影が禁止なので外観のみ掲載するが、内部もそのままに残されており、また貴重な資料も多数で、大正4~9年の間、本科生及び研究生として在籍した宮澤賢治の、一方でよく知られる信心深い側面と共に、農業研究者でもあった宮澤賢治の為人にも、思わず触れることが出来たりもする貴重な場所である。 


 仕事も無事終わって翌朝。帰りの飛行機の便が昼過ぎなので再び朝活。

 まずは、特にお子さんがおられる方に人気だろう「びっくりドンキー」の出発点である「ベル」さんへ興味本位にモーニング。

 全国津々浦々の国道なんかに一際目立つガチャガチャした外観とロゴが特徴のドンキー。北海道で他店舗展開がスタートしたと言う話だが発祥の地はここ盛岡。私自身はドンキーファンの友達に連れられて今までほんの数回しか行ったことが無いが、外観のそれは似てるけど内観のそれは似て非なりの落ち着きある空間。調べるとその昔、このお店は当時自分達でDIYで作り上げたものなんだそうだ。どうりで。時間の体積と共に角の取れた、なんともふんわり愛を感じる空間である。

 

 店を出て、城下町であることの象徴「盛岡城跡」のお堀沿いを歩き、立派な栃の木並木の大通りに面した官公庁通りを歩いて、昭和2年に建設された「「岩手県公民館」(日比谷公会堂や早稲田大学の講堂などを設計した佐藤功一による)、大正2年に建設された消防団の番屋「紺谷町番屋」(現在はカフェや機織工房として利活用)、明治43年竣工の「旧第九十銀行」で現在は盛岡の二大作家である石川啄木と宮澤賢治、並びに盛岡を紹介する「もりおか啄木・賢治青春館」(国指定需要文化財)、それから、この朝一番メインの目的地である、明治44年に建てられた、東京駅などを手掛けた辰野金吾と盛岡出身の葛西萬司による「岩手銀行赤レンガ館」へと向かう。 


 「岩手銀行赤レンガ館」は、2012年まで100年以上に渡って銀行として使われた。

 街を流れる川や水路に至るところで水を感じる盛岡にあって、中津川の橋のたもとに建つその姿はまさしくランドマーク。1994年には現役の銀行建築として初めて国の重要文化財に指定され、2016年からは多目的ホールと創建当時の様子などを展示する施設として再オープン。91万個の岩手産煉瓦が外観に、青森ひばが内観にと使われている。

 

 銀行建築と言う事で、例えば更に公共要素の強い大きな歴史的建物に比較するとそこまで大きくは無いが、だからこそ内部の意匠の数々が間近に迫ってきて思わず「うわあ」と声が出る。長い年月に経年劣化や様々な改変の場面があったろうに、本当にずっと大事に使われ続けてきたのか、あるいは元に戻すべく修復をとことん丁寧にされたのか、素人の私には分からないけれども、建築家は勿論、大工さんや建具師さんなど、名工揃いの東北で、腕に腕を上げた職人さん達の技術の極みが空間全体に詰まっているんだろうと想像する。

 こうした重厚な、そして宝箱の様な銀行建築を眺めていると、往時はいかにお金というものの価値に重さがあって、またそれらを託す人々のステイタスをいかに満たし、また信頼を勝ち得る為の装飾も最大のパフォーマンスと言わんばかりの施設であったろうかと偲ばれる。

 

 そう言えば子供の頃、初めて銀行口座を開くにあたって父親に京都の某都市銀行に連れられた日を思い出す。今は残念な事に昔の外観のほんの部分保存だけの装いになってしまっているが、まだ当時は見事な建物のままだった。高い天井に大理石のカウンターは重々しくて気品に満ちていた。周りをキョロキョロ見渡しながら子供ながらに感動して、わずかなお小遣いを預けるだけなのに立派なお金持ちの大人にでもなったかの様な錯覚に浸っていると、「初めてお金を預けるんやし、立派な銀行でないとあかんのや」と父親が言ったのを覚えている。

 勿論、現在に至るまで思い出と共にメインで使っている銀行ではあるけれど、今はもう建屋の軽やかさ同様、出し入れの激しいお財布銀行扱いになってしまっている。


 と、言う訳でとても駆け足な盛岡滞在記となってしまったが、これをロケハンと捉え、まだ全然見切れなかった数々の名所や、人の暮らしに近い所にも今度は訪ねてみたい。

 盛岡の三大麺も、冷麺とじゃじゃ麺は名店のを制覇したものの、有名なわんこ蕎麦までは至れず。が、それぞれの味付けや出汁のレベルの高さに大感動したし、東北イコール醤油辛い、と言う無知の偏見も完全撤廃。

 あと、よっぽど私がドジ臭そうなのか、それとも皆さん心底優しいのか、バスに乗っては運転手さんに道案内とお得情報の声掛けをしてもらったり、街の方々に名所を教えてもらったり、開館前なのに扉を開けて手招いて下さったり。。。と、いく先々で親切にして頂いた。

 見ず知らずの土地で優しさに触れると、ほんと嬉しいものですよね。と、振り返り、観光地京都で暮らす自分も、訪れる皆さんにそういう接し方をすべく見習わないとなと思った。

 

 お腹いっぱい胸いっぱいで時間いっぱい。おまけに歩きまくって足パンパンの盛岡。

 物作りのひたむきさ、物語に満ちた街づくり、高い文化レベルにも関わらず押し付け感がなく、控えめな人柄沁みる街。

 

 駆け足ながらも存分に感じました。ありがとうございます。また必ず再訪したいです。


谷口菜穂子写真事務所
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