「おはよう久しぶり空ちゃん!」。
まことありがたくも今年2度目の鹿児島出張。
神戸空港に車を停めて、朝イチ発の鹿児島空港行きに乗る。仕事自体は翌早朝スタートが姶良市内なので、前泊の丸一日はフリーだ。
と言う事で、まずはレンタカーで空港から近い父親の郷里に寄って、氏神様にお札をもらい、お墓参り。そして叔父さんと、叔父さんところのミニ芝の「空ちゃん」「海くん」におやつを持ってご挨拶。
しかしほんと、ワンちゃんってなんでこんなに賢いか。元から気性も穏やかで懐っこい空ちゃんは「おやつのおばさん」を盛大にお迎えしてくれ、前は散々鳴き散らかした海くんも、今回は手からおやつを食べておねだりしてくれた。めちゃくちゃ愛おしい。
その後、宿泊先の姶良界隈で寄り道出来そうなルートを事前に下調べし、いずれは鹿児島の良いとこが遠くで暮らす姪っ子や甥っ子らにも伝授できたら良いなを想定しつつ、辿ってみることにした。
まずは「鹿児島神宮」に立ち寄りその後に姶良入り。次に明治13年ごろに金山と港を繋ぐ橋として造られた「金山橋」を見に行く。日本国内の活火山の1/10が集まる火山の国・鹿児島ならでは、鹿児島の街の景観のあちこちで見られる溶結凝灰岩、そのうちの一つである姶良と言えば加治木石(初代の帝国ホテルにも使われた)で造られた橋である。
その後、この界隈で造られる焼き物の里である「龍門司焼」へ立ち寄り、以前クライアントさんにすぐ側の流しそうめんのお店をご馳走いただいたもののちゃんと見れなかった「龍門滝」、その昔は江戸と薩摩を結ぶ街道であり大名行列や物資輸送のために造られた苔むす石畳の古道「龍門司坂」へ。西南戦争では西郷隆盛率いる薩軍も熊本へ向かうために通ったとされる歴史街道だ。石をよく見ると轍のようなものも見られてあれこれ想像する。当時の薩摩の武士たちは、ここを行き交い何を思ったろうな。。。とか。
その後、日本一の大楠を見に「蒲生の大クス」がある蒲生八幡神社へ。樹齢約1600年、根周り30メートル越え、高さも約30メートルの大楠。中の洞も8畳程あるそうだ。この木の向かいに社務所があって、お姉さんに思わず「これ、毎日見られてるんですよね」と声をかけた。なんでも年末には樹木医さんらのチームで境内の土を掘り起こして根詰まりしないようにするとかで、大事に大事に見守られているんだそうだ。で、どこからかふらりとやってきて居ついてしまった看板猫ちゃんが、そんなうやうやしくも日本一の御神木にひょいひょいと駆け登るそうで。流石お猫様。
と、これら行程を1日でぐるり。
ホテルに着いたらパンパンの仕入れ情報とやり果たした感でベッドに倒れ込んでしまった(笑)。翌日はまるっきり仕事で、姶良市内で芋焼酎造りの取材、そこから先は南下して枕崎の方で原料の芋造り畑の取材。近年壊滅的なダメージに悩まされていた芋の病気を打破すべく、新たに品種改良された芋の軌道が乗ったとの朗報を便りに。
そうだ主目的を忘れることなく、体力温存に努めよう。
しかしやっぱり、毎度面白いなあと鹿児島で思えるのが、滝とか巨木とか、それらはここでは決して秘境に分け入ってやっと出くわすわけじゃなく、集落でいきなり飛び込んでくると言うか、いやむしろ自然の大きな存在が全体を見下ろしてると言うか、そんな所だろうか。とにかくそうした自然のものの存在が人里に極めて近い。あるいは、街を構成する塀だったり壁だったりも原産地ならではのものを使っていることも多い(勿論、気候に合わせるが故に使われているので理に適っている)ので、なんでも如何せんちょっとイカつめである。スマートに言えばダイナミックでもある。悪目に言うとワイルドでもある。それもこれも、あらゆる自然災害に大昔から毎年遭っているので守りが強固、華奢ではいられない背景がある。
そんな環境の元で暮らす人たちだから、多分、畏敬の念のようなものが強い。優しくて、シャイ目の人が多いけど、いざと言うときにどっしり強い。そうしたバランス感に、鹿児島を物語れるような気がしている。
今回、姶良から枕崎への移動の最中、海側の窓辺には鹿児島の象徴・桜島が真近にかなり長いこと着いてきてくれた。
帰路、枕崎から空港への車窓にも、遠く夕暮れに沈む桜島を見て感傷に浸った。
それから一番遅い便の神戸行きの飛行機を降りて、家路へと進む車窓の先には、まさに家に着くまでぼってりととても大きな半月が低く照って伴走してくれた。昔、まだ保育園も行くか行かないかの頃、初めて親に連れられて鹿児島で見た、怖くて堪らなかった月の存在をふいに思い出す。
あの時は何か、獣の目のように思ったけれど。実はそんなじゃなくて、こうやって、仕事の無事、道中の無事を、ずっと、見守ってもらえた存在だったのかなあ、なんて。思ったりしながら。
さて、ここから以下は、今回の鹿児島での選りすぐりのお勧め情報をお届けしようと思います。↓↓↓
お土産プランその1 お手元鹿児島「龍門司焼」。
鹿児島県内で焼かれる「薩摩焼」とは、各所の窯場の焼き物の総称だ。
藩主向けで豪華絢爛な「白もん(白薩摩)」、大衆向けの雑器である「黒もん(黒薩摩)」に分かれており、白薩摩は白陶土に透明の釉薬、華美な絵付が特徴で、装飾品や置き物がつとに有名。また黒薩摩は火山地帯が故に鉄分含有量の多い土を用いるため黒く、色味のついた釉薬を利用しており、例えば焼酎を飲む黒い酒器などに親しむ人も多いだろう。
これら主たる窯場は姶良市の龍門司窯、日置市美山の苗代川窯、鹿児島市の長太郎窯などがあるが、全国的に(あるいは世界的に)よく知られているのは、現在15代まで続く沈壽官窯のある苗代川系ではないだろうか。その歴史は1598年の豊臣秀吉による2度目の朝鮮出征にまで遡る。帰国の際に連行した多くの朝鮮人技術者の中にたくさんの陶工がおり、薩摩藩では藩内に窯場を開いたのが始まりだ。
前に美山の方の器散策はコンプリート。今回は空港から出張の目的地の道すがら、どこか寄り道できそうな所は無いかな?と言う事で、初めて黒薩摩の産地「龍門司窯」を訪れる事にした。
龍門司焼は、渡来陶工のうちの一人のお孫さんが、この地で良質な原料を発見して1688年に窯を築いた事が由来だ。そしてその技法が集落の人々に伝来し、山間集落の小さな産業として受け継がれるようになった。戦前までは各家々の手仕事及び共同窯方式、戦後の復興期に現在の龍門司焼企業組合の礎となる組合を作り、共同での製造から販売までを行っておられるとのこと(企業組合の形式は全国でも唯一)。産地全体としてはこの組合に4名の陶工、そして組合から独立された次郎太窯によって僅かながらも脈々と作陶されている。
さてその魅力の素は、なんと言っても粘土や釉薬原料の採取、精製調合まで、まさしく原材料の全てがこの地で生じたもの、そしてそれらを陶工の方々自らで行っている事だろう。全国数多の「器の産地」と言えど、実際にはその原材料が枯渇あるいは価格高騰の為に輸入あるいは他所に頼っている現代陶磁器界において、この掌に包まれる器たちは鹿児島の気候風土の全てが濃縮されていて静なる歴史の語り部でもある。焼き物自体の特徴としては、これまた今や全国でも珍しい登り窯焼成だからこそ生まれる表情の、鮮やかな色調の「三彩」や優美な「黒釉に青流し」、写真の「蛇蝎釉」や「鮫肌釉」などだ。
ともあれ(これは数多の陶磁器全体にも言える事だが)その魅力は二次元の世界である写真なんぞには早々他者に伝えられない。実際に触れて、愛でて、使ってみないことには。見た目よりも案外重さを感じないとか、実際にはそんなにテラテラでは無い上品な釉薬の具合とか。絶妙なる色目とか触り心地、派手さは無いけれどもバリエーションもあり、また個性もじんわりあるので早々飽きることも無いだろうとか。。。
ああしかしこれまで、産地に赴いたり、旅先で気まぐれに買い求めたり、時にはオークションで落札したりと、あちこちで無作為に日常用の器集めを続けてきたが、ここぞと決め切れない産地物も私の中でいよいよ終着点を迎えたと見た。器の持つ物語も、そしてその姿も、仕事が細部まで丁寧なのも、全部全部。すっかり「龍門司焼」の虜になってしまった。
これから鹿児島に行くたび、少しずつお気に入りを買い足していけたらなと思う。
龍門司焼企業組合↓
勝手スタンプラリーで巡る鹿児島。「田の神さあ(たのかんさあ)」探し。
五穀豊穣を祈り、田んぼを守り、米作りの豊作をもたらす農業神の「田の神」。この田の神信仰は稲作のある全国各地に見られるが、石像として田んぼの畦道に実際存在するのは、全国でもここ鹿児島とかつて薩摩藩の領土であった宮崎南部のみであるらしい。その数、確認されているのは約2000体。最も古いので江戸時代中期に作成された。
その姿はバラエティに富んでいて、地蔵、仏像、神像、神官を始め、表情豊かな農民の姿もあって、決まりがないのかそれぞれ自由に石を彫ったようで、お化粧してるものもあれば石のままのものもある。総じてラフで、愛らしい姿をしている。
NHKの新日本風土記で以前「田の神さあ」にまつわる番組を見かけて以降、気になっていた。
各所、決まった伝統行事があるようだが、番組ではとある集落の興味深い行事を扱っていた。確か集落の新婚夫婦が式を挙げたのも束の間、この田の神さあを1年間家に大事にお預かりして寝食を共にし、また元にお返しする、というような風習だった。小さいながらも重い石を、新婚旅行前の晴れ着の夫婦がえっちらおっちら抱えて持ち帰る姿。面白いなあと思った。また、豊作が叶った田んぼの田の神さあを、不作だった集落のとトレードすると言うお話も。
いつかどこかで出会いたいなあと思っていたら、灯台下暗し。なんとGoogle マップに各所の田の神さあ達ポイントが打ってある!どこまで集めるんだよ恐るべしGoogle (笑)。と、言う訳で訪れた姶良市内の龍門司坂ほど近い集落にたたずむ、田の神さあ個人的記念すべき第一号とお出会いすることが出来た。
こちらの田の神さあは、所謂農民型と呼ばれるもので、頭にシキ(蒸し器で使う藁の編み物)を被って、手にはしゃもじと飯わんを持った典型的な神像だ。巷にありがちなお地蔵さんとは違って、道すがらの人の方には後ろ姿、正面は(なるほどそりゃそうだ)田んぼの方を向いている。ので、あまりに自然に馴染みすぎて、うっかり見落とし通り過ぎてしまいそうだ。
このように、古くからある姿であるべき場所に佇んでいると言うことは、ここが田の神さあ目線からすると何百年と変わらない風景であると言う証であり、中には農地転用で街の姿が変わっている場合、もはや田のない田の神さあもおられる事だろう。元々、火山灰の積もる鹿児島は稲作に向かない土壌なのでご先祖様は代々ご苦心されてきた土地だ。そんな姿をずっと見守ってこられた田の神さあ。これからも大事に暮らしと共にあっていただけたら嬉しい。
さて。音声でお伝え出来ないのが残念だが、「田の神様」を「たのかんさあ」と呼ぶ鹿児島弁丸出しの言葉。音階表現するなら最後の「あ」だけ半音上げて伸ばす感じだ。耳触りがまあるくて、ちょっと日常の中で心細くなった時なんかに、「たのかんさあ」と、私は時々ふいと発音したくなる。そしてこの魔法の言葉を呟くたび、田舎の純朴な、なまりの強い叔父さんや叔母さんらの優しい顔が浮かんでくる。
これからは、そんな田舎の大事な人たちの表情同様に、あちこちの田の神さあのユーモラスでほっこりとした姿を思い浮かべることになるだろう。そうなるように、「田の神さあ」探しを中心とした勝手スタンプラリー、鹿児島の各所を巡る旅というのも、面白いかもしれない。
参考外部リンク↓
鹿児島における「田の神」にまつわる行事など
https://www.welcomekyushu.jp/unchiku/?mode=detailtebiki&id=80
田の神さあのあれこれ100選
お泊まりプランその1 「山猫瓶詰研究所」。
ぐーんと鹿児島を南下して枕崎方面。
以前SNSで見かけて以降、是非とも行ってみたかったのがこちら「山猫瓶詰研究所」。
かつて島津藩の財政を支えた三大金山の一つとして栄えたのも今は昔。遊郭もあったとは信じられないほど静かで小さな山の中の集落にあった、1903年築の郵便局。その郵便局も閉じて30年以上空き家のまま、壊されるのを惜しみ、本社機能を阿久根市に持つ下園薩男商店さんと言う水産加工業の会社が取得され、コンセプトを整え、利活用してカフェ兼宿泊施設として昨年オープンされた。
白い板壁のレトロな外観を一歩入ると、まずは郵便局の佇まいがそのまま残された、パステルグリーンの柔らかな空間。そこでは山猫メインのオリジナルグッズを始め、枕崎の特産物を中心とした瓶詰製品が可愛らしく並んでいる。更に奥へ進むと心地よい薄暗さにアンティーク家具が広がるカフェ空間、更に奥の扉向こうには洞窟上の寝床がシンボリックな宿泊スペースとなっている。
お店全体のコンセプトには宮沢賢治の「注文の多い料理店」の世界観がベースとなっており、遠い昔に読んだ物語の登場人物になれるかのよう。庭先には時折、地域猫たち(山猫たち)が通りすがったり集会したりするそうで、宿泊したら窓辺に展開する彼らの日常にも触れられそうだ。何より、昼間のカフェタイム以外、朝・夕のご飯時間などは宿泊すれば1組限定なのでこの空間世界の丸ごとが自分たちだけのものになる。そう考えると、設定されている宿泊料金もめちゃくちゃ可愛いプライスである。
とにかく、猫好き、物語好き、古いもの、古い建築好き、物産オタクには堪らない存在である事間違い無しで、私などは語彙力の全てを失ってただただ「ヤバい」「ヤバい」を連呼するのみだった(苦笑)。
これまで、実は鹿児島って美味しいものもたくさんあって、有名無名の良いお湯の温泉も無数にあって、遠いが故の全く異なる気候風土に興味深い景色もいっぱい見られて、本当に良い所なのだけど、どうも表立って自慢顔しない県民性が故なのか、宣伝や広報、外向き商売が控えめで勿体無いなあと思う事多々だった。がしかしどうしたどうした?!近年はそんな眠れる獅子も、バージョンがいきなりアップしてきていて、細かいところでは商品のパッケージがとても素敵だったり、ユニークな取り組みで全国発信しておられる企業も現れたりで心底嬉しい。
こちら、山猫瓶詰研究所の運営母体会社さんも、まさにそんな取り組みをされているところの一つだろう。今一度公式サイトを隈なく見渡すと、既存企業の後継者さんによる考え方がとても興味深く、こんなふうな考えや動きをされる事業者さんがおられたら、そりゃ地元の若者たちも故郷に魅力や希望を感じて、それなら根付いて働きたいと思うだろうなあと、将来への展望が見えるよう。
今すでに在るものに目を向けて、これまで見慣れ過ぎてしまっていただけかもしれない薄らいだ魅力を今一度客観的に評価して、足し算し、あるいは引き算して次に繋げる。世代を超えて、それぞれの新しい視点を忌憚なく語り合える環境。これぞ地域活性化の、基盤じゃないかと。
先行きの不透明な世の中。と言われる現代社会。新しいものばかり追い求めるのって、これも先がないように思う昨今。似たものを大量に生産し、また大量に消費することで成り立つと思われていた経済の回し方も、これだけ消費者側の個人主義や価値観の多様化が確立しつつある今となっては過去の成功事例である。多分、それらはもう参考になんてならない。
だったらもっと、遠い昔からご先祖様や先人らの作り上げたもの、数十年、数百年と続いた実績を大事にして、それらの持続可能を前提に無理せずアップデートする。そうすると、捨てるにはしのびない筈の実は普遍的に価値のあるものが、見えてきたりしてと日々、つくづく思うのだ。
ともあれ、今回は仕事であるが故に、ほんの帰り道の立ち寄りとなってしまった山猫瓶詰研究所。今度はぜひとも仕事抜きで、宿泊してその世界観にどっぷりと浸ってみたいと思う。とにかく素敵だったもの。。。
山猫瓶詰研究所↓
運営母体会社のサイト↓
https://marusatsu.jp
こちらの運営母体会社のフィロソフィーがとてもよく伝わる採用情報サイト↓