大好きな、大好きな叔母が亡くなった。
貧しくて、地元に早々仕事が無かった父親の故郷・鹿児島。
昔の事だから兄弟姉妹もたくさんあったが皆さん長距離列車の片道切符とお母さんの握ったおにぎりだけを携え縁もゆかりもない地に降り、まだ幼さも残るだろう心のままに働き始め、それぞれに故郷外の土地で家族を持ったゼロスタート。その後も高度成長を下支えする当時の多くの日本人同様、生活を立てるのに精一杯で、今でこそ格安航空も飛ぶようになり、新幹線も伸びて地続きになったが移動費だけでも膨大で帰郷もままならず、よっぽどの事がなければ互いに交流する事も叶わなかった。子供の頃は、毎正月の度の冬休み明け、お年玉がいくら貯まった自慢をみんなでしたところで自分は常に最下位。地元とその周辺に代々親戚が暮らし、賑やかなお正月を過ごす友達らが心底羨ましかったな。
そんな中、唯一隣の大阪で暮らす叔母は自分にとって最も近い存在だった。大変な努力家で、勤勉で、働き者で、家族に尽くし、文句も堪える。幼い頃から長女として、頼りない我が父・長兄を支えた立場において、正義感の塊で、ごちゃごちゃ言わずに不言実行を貫く「薩摩隼人」然とした気質を持ち、優しくて、真っ直ぐな心で芯を持ち、家人を後ろでそっと支える「薩摩おごじょ」の精神も両性するスーパーウーマン。父親にとっても大変自慢の(頭が上がらない)妹だった。
戦前に二十歳で結婚してすぐ、開拓移民としてアメリカに渡って苦労を重ねて大成した大叔母と、この大阪の叔母については、何度も何度も子供の頃から話を聞かされていたから私の中では完全にロールモデルで、泣き言を垂れたり、依存心が芽生える度に「お前にはおばさん達の血脈があるんや」と言う言葉が高過ぎるハードルと共に、生き方の大事な道標でもあった。
折々の絶妙なタイミングで掛けられる叔母さんからの声には、毎度背中がシャンとしたし、何か心のズルをすると後ろめたく、叔母さんが喜んでくれるような人の行いってどんなだろうって、いつも心の片隅にあった。と言って、私の方はずうっとポンコツ劣化版だったのと、大いなる包容力と許容力と褒め上手な叔母さんだったから、永遠の半人前で何にも為せてないのにいつも褒めてもらって良い気になってたばかりだったけれど。。。
これまで、叔母さんに掛けてもらった言葉、支えてもらった事、挙げればあまりに果てしなく、それらを思い出すと全ては自分の不甲斐なさに繋がる。「あんたらが子供の頃、近くに居たのに家の事気付かず助けてあげられずにごめんね」が口癖だった叔母の優しさに甘えて、ずっとこれまで背中を支えてもらって、温めてもらって、ふと叔母さんの不在に振り返り、横たわる、身体も細胞も使い果たした叔母の姿を目にした時、泣いてばかりでうろたえてすがって、こんな小さな身体の存在にどれだけ今まで自分が依存していたのかを思えばなんとも自分が情けない。重い責任の荷物から解放させてあげる事、そしてお別れには最後の嘘でも、「これまで本当にありがとうございました。叔母さんのような人間になれるよう、これから一生懸命頑張ります」って宣言しなければ、これはもう人として本気でダメだなと思った。
最後にお会いしたのは1ヶ月前。
病床に伏せて喋るのもやっとだったのに、こちらが見舞う言葉も遮って開口一番の台詞が「能登は大丈夫か」でした。
「こんな身体じゃ無かったら、叔母さんお役に立ちたいのに」と。
あとはお決まりの台詞です。
「菜穂ちゃんも人生忙しいんや。仕事もあるんや。せっかく掴んだ幸せは大事にしなさい。叔母さんなんかの為に時間を使いなさんな」。
そうやって、最後の最後まで世のため、人のため、家族のためを切ないほど本気で思う人でした。
そんな人が世の中には存在するんだって、思わせてくれたうちの貴重なお一人でした。
あの時別れ際に握って包んでくれた両手は、ずっと永遠に忘れないです。
さて、最後に余談。
遺影に使われた写真。とても叔母さんらしい良い表情の写真で、いとこも「本人が気に入って飾ってた写真みたいやから使った」と言うので、「良い写真だねえ」ってお通夜の会場に入って一番に褒めました。「私、本当は一度で良いから叔父さんも叔母さんもちゃんと写真、撮ってあげたかったんやけど一眼カメラ改めて向ける度に警戒されて結局撮れなかった」と言い訳しました。これ、結構ずっと心の中で後悔してたんです。近い存在であればあるほど、改めて写真を撮るとなると、互いにぎこちなくなってしまう。生じっかカメラマンよりもそうじゃない人による仲良しの人同士で撮った方が遥かに素晴らしい写真って世の中にいっぱいある。我々生業に共通するであろう永遠の課題です。
いざ、告別式が終わった際、遺影の原本になった切り抜き前の写真を改めて見たら、「あ。。。これ、私が撮った写真!」と。今からもう10年以上前に、叔父さん叔母さんに誘ってもらって3人でお花見した時、万博記念公園の満開の桜と太陽の塔を前にして、お二人を叔父さんの持ってたコンデジカメラで私が軽く撮った写真だったと判明。
親戚一同に爆笑されました。実にカッコ悪く情けない事にまさかの自画自賛。「(遺影に)採用してくれてありがとう」と言ったらまた笑われました。
それにしても大反省。もっともっと、ちゃんと撮れたのにな。こんな風に切り抜きされる時もあるんだから、日常のなんでもない如何なる瞬間でも、大事にしなければいけないんです。その役割を時に大きく担う写真の存在って。。。
しっかり者であるが故、時にとんでもなく天然なおっちょこちょいぶりを発揮する叔母さんでしたが、そういう所だけ、確実に受け継いだ。
どうやら、叔母さんには今後もずっとずっと、高いところから見守ってもらう必要がありそうです。
ほんまごめんなさい。そして心からありがとう。