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「能登へ」 ~地震の際に飛び交う用語「応急危険度判定」について。その後への一意見。


 

 

 先週。能登へ。建築構造の専門家の先生らの地震被害調査に初めて同行させて頂きました。

 

 今回は富山方面をはじめ、我が石川の家と、家のある町内で地震被害や液状化被害を受けた集落も立ち寄り、また、珠洲市に生家があって被害を受けた方の家屋の状況報告に立ち会いさせて頂きました。

 地震発生から4ヶ月を過ぎた今日、全国放送系テレビでは次々と違うニュースが更新されて、少しばかりは被災地も日常が取り戻せたかな?という他県の我々の想像は全くの錯覚で、日常を更新しているのは外の我々だけだというのが身に染みて分かる、今もとてもシビアな状況です。その様な光景を両側から見ていると、これまでも数多の大規模自然災害を受けた被災地と被害の無い他府県では、こんなに小さな島国日本でも、日常の格差は繰り広げられてきたんだろうなと振り返ります。

 この度の能登半島地震においては、たくさんの諸団体が復興に向けて現在進行形で様々な方面に活動されています。皆様のご尽力に心から敬意を表すると共に、同じ日本で暮らす者として心より深く、お礼申し上げます。

 (尚、我が家において地震被害を受けた屋外の井戸屋形に関しては、先生方には迅速に補強プランを提示して頂き、今後直す事が出来る形になりました。私個人はありがたいことに実に軽微な被害で済み、現在ご自宅が被災された事で我が家で仮暮らしされておられるご家族の不安も解消すべく家屋の耐震性に関しても今一度、先生方のお墨付きを頂き安堵しています。)

※上記液状化による添付写真は、個人宅の肖像権があるので特定されないよう大幅にトリミングし、画像を一部ぼかし加工しています。

 

 さて。

 こうした地震災害が起こる度、よく見聞きする「応急危険度判定」とは、一体どういうものなのでしょう。自宅に色紙を貼られて初めてその存在の重さに向き合うのかもしれませんが、いつの日か、自身も当事者になるかもしれない、前触れなしの有事の際、冷静に正しく認識すべく、あらためて情報共有をしたいと思います。以下↓

 

 現在、被災建物に行われている「応急危険度判定」の来歴。

 元はアメリカの判定基準を参考にしたもので、30数年前と実は歴史は浅い。1989年に起きたアメリカ西海岸側を震源とする大地震の際に試験的に発動され、同じく西海岸側で起きた1994年の大地震で本格的に開始された(うっすら覚えておられるかもしれないですが、ハイウェイの高架がぐにゃりと倒壊する映像は、日本でもニュースで連日報道)。

 その目的は

①余震発生の可能性を考慮した緊急事態下での二次災害の防止

②地方自治政府が各種緊急行動を決定するための行政判断のデータ収集

 とある。

 これらをもとに被害状況を迅速に把握し、復旧予算の確保をするため、アメリカでは資格と強い権限を有する専門家が目視判定による三段階の判断(赤紙ー立ち入り禁止、黄紙ー立ち入り制限、緑紙ー検査済み)を行なう。これがあくまでも一時的、簡易的なのは、現状建物の使用を禁止すべきか、継続使用して良いかを判断して使用者に示す事が目的であるからで、決して建物被害の程度や修復可能性を意味するものでは無い(加えてアメリカは訴訟大国な面もあり、国家であろうと個人の財産権を著しく奪う可能性のある事からも、運用については極めて慎重で趣旨説明の徹底が行われている)。

 その後アメリカ発「応急危険度判定」は、彼の国の翌年に起こった95年「阪神淡路大震災」において国内で初めて実施された。その際、大混乱の中を様々な要因も重なり、赤紙は「全壊」、黄紙は「半壊」、緑紙は「小破」と、建物の存続における死亡宣告とあたかも受け取られ、本来は当面の危険をただ判断すべく応急的なものであった筈のものが、義援金の配分や公費解体の目安?と、その解釈が突発的有事に際して曖昧なまま正されず、誤った認識として国民の中にすっかり定着してしまっている感がある。

(参考資料ー阪神淡路大震災で倒壊した大規模マンションを復活された記録書である「地震とマンション」ー西澤英和・円満字洋介/著/ちくま新書ー2000年発行)

 

 つまり。

 あくまでも、応急危険度判定は「建物の立入り」の安全度を判定するもの。

 これに対し罹災証明は「建物の被災の度合い」を証明するもの。

 要は仮に応急危険度判定で赤紙レッテルを貼られたからと言って、「もうこの建物は直せないから解体マスト」と結論するのは全く誤った解釈。

 書いて字の如く、「応急」的に危険度を判定したもの、なのだから。

 がしかし大抵は二次避難で家主が不在の中、貼られた無情の色紙にはショックが大きく、素人が一見すると悲惨な姿の我が家に打ちのめされて、阪神淡路大震災以降、混同した心情的誤解釈の連鎖が今日まで続くのは、もちろん想像に難くないのですが。。。

 

 公費解体で一軒当たり数百万円の公費を使って家々を解体するのであれば(国家予算あるいは各自治体予算として計上されているのであれば)、逆にその数百万で今ある家屋や部材を使いながら改修して救える可能性を秘めた家屋があるかも!という考え方も、無かったりしないものでしょうか。そもそも日本という国自体がブルドーザーやなんかを持ってる訳じゃ無く、外注で解体業者にお金を払って解体する。つまりここで動くのは、大きな枠では復興のための、色付け出来ない「お金」なのだから。

 もちろん、国や行政側からすれば、他の復興の妨げや危険回避の為に危険な建物とレッテルの貼られた家屋にそのまま国民が暮らすのを是とはしないでしょう。であるから解体費用なら国費を捻出するとなる。しかしこれは一方で個人の財産を、乱暴に言えば国家が奪う、あるいは侵害する行為でもある。だから判断や手続きに慎重にならざるを得ないが故、結果として進みが遅くなるという側面もあるでしょう。公私の場の連続である街のそれぞれの領域に関する責任を誰が持つのか。先の新潟地震の際に当時の大蔵大臣だった(地元選出の)田中角栄氏が、個々人の財産を地震から守る「地震保険」と言う保険制度を作ったのもまこと頷けます。

 

 ともあれ。税金の使い道や使い方を外野であれこれ今ここで憂いでいても仕方ないので、個々人にも出来ること、前に進めること。

 人手が無い、資材が無い(あるいは高騰している)、これ以上災害ゴミを廃棄する場所も処理能力も無い、と、無い無い尽くしの今日の状況を打破するために。

 八方塞がりの今こそ、過去記憶に残る各地の大規模災害の取り組みや復興の実例に学び、これまで全国各地の地震で被害等を受けた建物を災害前の状態、あるいはそれ以上に強く直してこられた専門家の先生方や技術者にノウハウやお知恵を頂き、今後安全に、我が故郷、我が家に戻れる日が1日でも早く来られますよう、心から祈っています。

 一見すると、私のような建築ど素人からすれば「これは無理だろう」という地震及びそれに伴う液状化被害を受けた木造家屋や、更に難しそうな大きなRC建物も(新たに建てるよりもコストも人員も時間もかけずに)、全国にはこれまで実はたくさん改修され再生された実例があります。地震大国日本と呼ばれる国だからこそ、その復興のノウハウの蓄積も伝統的手法から最新鋭の技術までたくさんあるのです(無い無い尽くしの中での復興の在り方では、昭和18年の戦時下、物資も乏しく若い男子も兵役に取られている中を、大学の専門家主導で子供たちやお年寄りなど住民らで復旧させた鳥取地震。そして昭和39年、莫大な国家予算が投じられた東京オリンピックの開催や東海道新幹線開通という背裏に起きた新潟地震等。過去の参考事例はいくらでも、ネットでも調べれば資料閲覧が可能です。逆に、失ってしまったが故の悲しい事例も)。

 世界最古の木造建築の奈良の法隆寺だって、創建後に火災に遭って再建、その後は代々宮大工が近くで暮らしながら技術を継承してメンテナンスを行なってきました。そんな1300年という歴史の中では細かなメンテも加えて何度も大規模修理されて今に至ります。ああやってただ災害にも遭わずに無事で、人の手も加わらずにフワッと幸運にも建ってたわけじゃまさかなくて、その時々に、勿論で痛んだ部材を組み替えたりなどしながら今に至るのです。
 そんな、あれこれ膨大な資料や対応技術をストックされている木造建築に詳しい専門家の先生らは、圧倒的に多い能登半島における木造家屋を前に、声を揃えて言われます。

 「木造建築などいくらでも直す方法はある」と。

 いや。これ何も、文化財指定を受けてるから直されたんじゃなくて、所有者の思い一つで直したいから直した一般の名もなき建物たちの存在も、是非知って欲しいです。火事には流石に滅法弱いかもしれませんが、耐震性が無いとか、屋根が重いとか、被害の絵面と専門外の世間の論調にただ惑わされてはならない。

 

 もっとわかりやすい例を挙げたら、大切な財産である筈の我が家を、例えば体に置き換えて考えてみては如何でしょう。ある日具合が悪くなって飛び込んだ病院で、見知らぬ医者から唐突に余命宣告を受けたとイメージしてみて下さい。その言葉にただ諦めず、セカンドオピニオンをいくつも受けてご自身の納得する答えを見つけ、助かる方法を諦めないのが今日医療との付き合い方ではないでしょうか?

 

 患者の現状に対してとことん諦めず、なんとか救ってくれる建物のお医者さん。

 どんな治療の仕方があるのか。聞いてみるだけでも決して損は無いと思います。

 建物に関する専門家集団のNPOもいくつか能登半島地震で活動されてます。私の方でも、信頼出来るお医者さんの紹介も出来ます。是非に。
(加えるなら、現地で活動するボランティアが足りない足りないとの声もありますが、より直接的に頼れるべき、専門知識を持つ研究畑の方や、技術者、職人さんが現地の被災件数に対して圧倒的に不足しているのも、大きな問題点かとも思います。全国のお力とお知恵のある専門分野の皆さんの英知が、被災地に集まりますように。)

 

 ちなみに、被災地・石川県の現状を参考までに。

 以下の状況からすると、どうすべきかの答えは極めて限られているように感じます。

・石川県全体の災害廃棄ゴミ量は7年分。内、珠洲市に至っては132年分と推計。(読売新聞2月6日記事)

https://www.yomiuri.co.jp/national/20240206-OYT1T50115/

・危険でも自宅で生活。二次避難者の半数帰宅。(北國新聞4月23日記事)

https://www.hokkoku.co.jp/articles/-/1379711#:~:text=能登半島地震後、2,暮らし始めるケースもある%E3%80%82

 

 急がば回れで今あるものを有効活用すべく。しかも安全はしっかり担保する。

 今後新たに一軒家を新築するに当たり、家屋の減価償却年数の約20年をはるかに超える何十年ものローンを組んで、一見は綺麗な組み立てパネル的ハウスメーカーによる(気候風土も異なる筈にも関わらず全国共通な)家をサクッと建てる(建つのは早かろうと、これだって人手は必要)にはあまりに勿体無過ぎる、かつて大工さんたちの心意気が込められた伝統建築の木造家屋、それも地域ならではの気候風土に対応した、素晴らしい景観の一役をも担う家々の宝庫たる能登半島。

 時に命を守るため、または非情でもある赤紙黄紙一枚で、どうか翻弄され、むやみに消滅されませんように。

 

 勿論、復興への道のりに最も必要な公共ライフラインや交通インフラ等、環境整備に関しては、真っ先に取り組まれるべきとして。

 

 

  最後に。「何を素人が、当事者じゃない人間が呑気に明後日なことを言いやがって」とのお叱りも当然かと思いますが、どうぞ皆さんの大切な個人の財産、地域や県の比類なき固有の財産が守られますよう、心から祈る一般人の一客観目線として、どうぞどうぞ、お許しいただけますなら幸いです。そしていつどこで起こるかわからない自然災害に対し、人ごとでなく自分ごととして見識をためておくためにも、今はただ当事者じゃ無いだけの我々にも、必要なこととしてのメモ書きとして、捉えていただけたなら。

 

 

 

※ブログトップ写真は、国の重要文化財である宝達志水町「喜多家」。このすぐ近くの家屋の瓦被害調査の道行に立ち寄りました。喜多家では、江戸時代からの瓦も健在にて、明治以降に元あったカラクリ戸から壁に作り替えられた床の間だけ、震災でヒビが入ったそうです。その他は全て健在。

昔からの伝統技術は凄かった。

屋根瓦が重いからこうなったとか、古いものイコール弱い、悪い、と一括りするのはあまりに罪深いよ、と、静かに語ってくれているかのような、気高い姿で新緑と共に佇んでいました。

谷口菜穂子写真事務所
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