この日。
地方における人口減少(過疎化)超少子高齢化という課題の上に自然災害によって更なる問題が累積している現状について、地域固有の魅力や歴史文化、伝統芸能、食文化。。。など、ポテンシャルがすこぶる高い一方で、それらが活かせない原因として「生産性が無い」事が最も課題とされるという切実なお話を伺った。当事者側の言われる言葉の重みに深く考え込む。
が。さて。
「生産性」という言葉を聞くと、つい、なんそれ、と言葉っちりについ引っかかるお年頃な今日この頃。
どうも近年巷でやたらと言われる「生産性」という言葉は(現実問題としては)確かにそうだとして、あまりに結果論的というか、統計上に過ぎるというか、頭と口の達つ人による客観的ワードなだけの気がして、センシティブな世情を鑑みつつ多様性を謳う以上、表現的に角を削いでるのかもしれないけど、今この言葉を使われるとやっぱりネガティブで、救いようのない感覚に陥りがちなのは私だけだろうか。
そして、結局はどんなファクトをもって話してるのか、何を(あるいは誰を)指してるのかが明確で無いというか、しかもなんとなくで使われる範囲も広すぎて、時代的で要は流行り言葉のように「何でもかんでも生産性」と括られると、なんだかこの言葉を聞くだけで他人事じゃなく自分事と過剰反応して自己嫌悪ループにハマって反論も出来ず、さりとて腑にも落ちずですっきりしない。
それでも我慢しつつじっくり言葉の裏側の言わんとするベースを辿ると、そうした言葉が登場する事象の解決法として(にしては大雑把かつ今どき乱暴な着地点な)、地方の場合だと「若い世代が定住してなるべくたくさん子供を産んでその地で育んで地場産業を継承する」、企業の場合だと「より優秀な人材が集まって効率よくバリバリ働きずっと長らく勤め上げる。そうして、国民の消費行動を自社に集中させる」事がとどのつまりヨシとされるかのような、結局は、過去の高度成長期がモデルケースなお話が、今だにベースにあるんだろうなと透けて見えたりもする。
で、あるならあるで、もうちょっと分かりやすいはっきりとした言葉ではっきりと問題を細分化して、例えば、企業の場合だと、「生産効率」が良い、悪い、と言われればああなるほどそれが言いたいのかとまずは思えるし、地方の人口減少に関わる問題だったら、「生産力」が足りてる、足りてない、と言われればああなるほど、じゃあどうしましょうかねと、別アイデア出しだって、出来るんじゃ無いかなとも思えたり。
他にも、流行りの「生産性」の使われる場面で正確性を込めた別の言い方でちゃんと表現したなら、もうちょっとポジティブに受け止められてる言葉が、ありそうな。あるいは、なんでやねん?!とかも、正しくツッコミ出来たりして。どうも、議論させない為のマジックワードなのかなと思う。生産性。
ということで、まあまずはうっかり「生産性」なんて曖昧な言葉、やたらと使うのやめにしてみませんかと。
近年、似た世代の自分の身の回りの友人や知人が、ポツポツと、新たなことに取り組んだり、学び直しを静かに始めたりしていて、とても刺激を受けています。めちゃくちゃ子供が産まれた時代、バブルのオーバーフローを目前に就職氷河期と、何度も社会環境に溺れかけて、「過ぎたるは及ばざるが如し」を体感してきた世代とも言えます。
そんなたくさんの中の粒子一粒な自分に何が出来るかなを考えて、自分とは違った考えの人や環境を取り入れたくて、この約1年、金沢大学と珠洲市、奥能登各自治体による「能登里山里海SDGsマイスタープログラム」なるものを受講することにしました。