仕事の画像処理中。書斎壁一面の共有本棚にて、ふと私領分の本1冊に目をやったおツレが一言。
「あんたこの本読む必要ないやん」。え、何の話と振り返ったら、千玄室大宗匠の著書「いい人ぶらずに生きてみよう」を手にとってる。自己啓発系やビジネス系など皆無な本棚にあってタイトルに引っ掛かったようだ。
「なんで?」
「あんたの事『いい人』認識なんて誰もしてないやろ。ただただ賑やかしの勢い一発系なだけで」と辛口を曰う。そやな、善人キャラでは全く無いわいな。
「ああそれな、いわゆる『良い人』の意味じゃなく、人目ばかり気にかけ、ただ波風立てず当たり障り無く生きるのはどうなのか、って内容やねん。」と返すと、「ふうん」。
茶の湯をちゃんと知っておくべき得意先と長く関わらせて頂きながら、積年の膝のダメージで正座が出来なくなりいよいよ遠のいたお茶の世界。せめて書籍や講演で…と、本の存在理由をボソボソ言い訳する頃にはスーッと、おツレはテレビの間に消えた。私とは真逆に無口人間だから、時々強烈なヒットを打ってくる。
多くの方が既にメディア等でご承知だろう、奥能登大水害が発災した9月21日の土曜日。本来なら前泊すべき所を無謀にも前後の仕事の都合上、日付が変わって深夜に京都を出て、石川県珠洲市に着いたのが小雨降る朝8時。リカレント講座のゼミまであと1時間半あるからとワイパーを止めて車中で目を瞑り、ハッと目が醒めたら窓向こうは景色が見えない程の大雨だった。
車を降りた一歩目でくるぶしまでずぶ濡れになり、校舎に着いて、のっぴきならない空も窓ガラスの先から遠く、テレビも無ければ空調の音の方が騒がしいくらい。そうこうしている内に、校舎は避難所指定され、けれどもトイレが使えなくなり簡易トイレを配られてもまだピンと来ず。続々と土砂や川の氾濫情報を聞きつつ、ゼミで話し合いすべきことも互いに的を得ず、現実逃避に世間話と脱線。まだなんとなく雨でもやめば帰れるだろうと楽観視したり、機転を効かせた受講生が泊まり覚悟の弁当などを調達してくれたりと、現実と非現実を行ったり来たり。
そんな中、雨の止み間に通れる道情報をネットなどで完全把握した皆さん。サッと一斉に脱出した。
「ご自身の命を守る選択をしてください!」。
そう、災害の度に近年聞かれるメディアアナウンスに照らし合わせると、あの場に居た全員はホントに決断力も取捨選択能力も凄まじく高かった。一方で私はと言うと、最も奥の駐車場へと足を取られるうち、先導車とそれに連なった車列から完全に見切られてしまった。結果、訳も分からず一人車を進め、センターラインも溢れる川もどこがどうなのか闇雲に泥水を分け入り、泥水で水位がヒタヒタの橋をいくつも渡り、電柱が倒れて電線の垂れ下がった、山積みの流木と土砂で完全遮断されたばかりの道を慌ててUターンしたりし、工費解体の進まない完全倒壊した家々にどこまでが水害によるものなのか、ガードレールに引っ掛かった大量の流木などが今のものなのか、何が何だかわからないままなんとか無事に家路に着いたのは日付変わり。実は大量の攻略経路情報が挙げられてた同期受講生のグループLineも(普段から大縄跳び的SNSの中で最も苦手な類いゆえ大概未読組。というかそもそもで今に至るまでLineをしてなかった化石組)安全地帯に入ってからやっと読めた。そして家に着いて泥のように眠った。なんだったのか。典型的な「たられば話」になるが、これが地の利のわかってる地元だったならもう少し違う残留感覚だったんじゃないか。
何が正解だったんだろう。正直、今回私はたまたま運が良かっただけとしか言いようが無い。それにその場から逃げたのは確かで、加えて何もかも全てから逃げたとも言える行動の結果が今であり、翌日から続々と報じられるニュースで遠く客観的に被害状況を知るにつけ、土石流の残骸から行方不明者を懸命に探されたり、泥まみれの家々に立ち向かう地元の方々や有志の方々の姿に、愚かしい土曜日の自分が心底情けなくて堪らない。帰路高速の対向車線には、続々と消防車などの緊急車両が元来た方向へと走ってゆく。あれ以上、選択を誤って皆さんのご迷惑にならなかっただけマシだったと言い聞かせるしか今は術が無い。
さて。移動時間約7時間先、400km越えのもう一方の現実である、現在地の自分の領域である生業に向かっていると、こんな情けない自分にも確かに需要はある。ここでは要望されたり、喜ばれたり、一役買わせて頂けたりする訳だから、なんと有難い事かと昨今ヒシヒシと滲み入る。これまでの長い時間に関係が構築された者同士、下手な言葉チリに気を取られる事なく互いのニーズを正直に話し合えたり、課題に対する解決策を共有出来たりと、これまで当たり前だった事の全てに迷いなく、生きていられてると言う実感がある。確かにある。
誰かがミスれば当の本人が不在でも謝って、許し合える優しさ。誰かの幸せ話に耳を傾け、良かったねって心底言い合える互いのゆとり。労い合い、補完し合える余裕と余力。これまでの長い間、何事も無かったわけではまさか無いが、トラブルの数々を乗り越えて強くもなれた。
このような日々の先に傲りは無かったか。何度も自問する。そうじゃ無いんだなと言うのだけ確実に言える。けれど。
未だ「良い人で、居られるところだけでは生きてられる」自分。それでも出来ることって何だろう。
非常事態に際して真価が問われる人間性や人間力について改めて考えると共に、ああ、これが私の根本課題ではと薄々感じていた、まず持って自分自身の「自己肯定感」の決定的欠如が改めて浮き彫りとなった。咄嗟の時に出る最も弱い部分の結果はこれだ。まず自らを揺るぎなく愛し大事にする事を学び直し、その上で他者への理解と愛する力がない限り、さりとて「鈍感力」も無いとくればただただ感傷的人間過ぎて、これでは戦力外もいいとこ。
今一度しっかり足元を固めなければ。出来ることと出来ないことの選択すらできず、いずれに着いても後悔ばかりするなんて。
追伸ートップの画像は今回の水害で行方不明となられたご主人の営む宿の宴会場に掲げられていた輪島塗の立派な絵の一部。今年の地震で被害を受け、近くのトンネルなどの崩落に孤立するも営業再開され、主に工事作業者やボランティアの宿泊所として再開されていた。以前、輪島と珠洲を訪れた際におツレと一緒に泊まった宿である。魚が大変美味しく、温かい人柄のもてなしと、美しい海辺の景色、高度成長期に建てられたんだろう昭和レトロが詰まった郷愁感溢れる場所だった。土石流に襲われ、助かった奥様との手の距離わずか10センチほどで離れ離れになられたとニュースが報じている。心が痛くてたまらない。