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お菓子を生み育てる里山にて。

 

滋賀県大津市。寿長生の郷(すないのさと)。

琵琶湖から唯一流れ出る瀬田川のほとりに位置し、六万三千坪の丘陵地に広がる和菓子メーカー「叶匠壽庵」のお菓子が生まれる場所にして、菓子に用いる素材を育てる農の場でもあり、元は集落が消滅し、荒廃した山野をまた再び里山へと再生し続ける取り組みを重ねる場でもある。

それは近年SDGsが盛んに言われるようになるよりもっと前、この地を牙城に定められたのが来年で40年とされるので、これら意識的取り組みは自然との共生や農耕一体を掲げる昨今数多の企業のロールモデルだろう。
私がこちらの仕事を写真で関わらせて頂くようになって、ありがたくも24回目の師走となった。その間にも、ゆっくりと、確かに木々が豊かに成長し、より自然らしい四季の移ろいの美しさが増したと感じる。時に晴れやかに、時に清々しく、そしてどこか切なく愛おしく。

 

個人的には最も好きな、この里山の真骨頂はこれから本格的に迎える冬だ。
そうそう雪が積もるところでは無いが、落葉樹の葉が落ち無彩色になり、さしたる見どころも無いとされる冬。だからこそ、凍った朝露が煌めく朝日や、炭小屋や、餡炊き場から登る湯気は視覚から得る温もりも際立ち、古民家や茶席のいこった炭の紅により惹かれる。広大な里山には、ポツポツと果樹の剪定に勤しむ人が居て、いつまでも名前が覚えられないほどささやかな存在の山野草が芽吹き、小さく花をつける。襟元を暖かくした早朝の着物姿も、忙しない中の柔らかい挨拶も、あちこちの木戸の丸い音も、枯れ枝のざわめきも、時折響く鳥の高い声も、穏やかな日には忙しくなる蜜蜂の仕事も、普段なら見逃しがちな存在全てが際立ってくる。砂利道に、落ち葉の堆積に、柔らかな地面に、踏み締めるたび確かに、足元から全てが生きているという実感が湧いてくる。

以前仕事が終わって郷の風景を個人的に撮っていたら、もう退職されたが名物的存在の女性と一瞬の花が咲いた。

「私、ここの一年で一番好きなのが冬」「私も!」。

自分のような仕事の立ち位置というか、そもそもで生まれた時からの立ち位置は、大体そのものの本質から少し離れた所に置かれたところから始まっていて、要するに根無草である。かつては集団への執着とか、輪に入れることへの憧れなど無かったと言えば嘘になるが、自然に従うとやっぱり軌道からちょっと逸れてしまう。だからそれに慣れた。そして時々、何か他者と思いが合致したり、誰かの思いがこもったもの、あるいは当たり前のうちに見落とされている美しいものに触れると、一際沁みる。そういう瞬間が無いか。またそういうものに出逢わないか。いつまでも諦めがわるい。

 

長屋門の右手には、鞍馬石の一枚岩で出来た、重さ約2トンという両手を広げてもまだ足りない大きな水盤がある。江戸時代に造られ、かつて大阪のお屋敷の庭にあったそうで、花を浮かべ、月を映して愉しんだものだそうだ。
この水盤の水際まで目線を落としてみると、その向こうの秋の光景が大きく映り込んだ。約四半世紀の関わりで初めての世界が広がっていた。


何事も、諦めずに居ればきっと何かが見えることを教えてもらえる瞬間は、まだまだこの世にたくさんあると感じる。
そして、「はじめまして」の心を保つのが、自分にはちょうど良いんだろうなとも思ったりする。

また、新しい年がもうすぐやってくる。

 

谷口菜穂子写真事務所
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