2024年は色々、心も体もいっぱいいっぱいで、お散歩写真に何処かぶらぶらとする機会が全く無かった。
今年も始まったばかりで何が起こるか、どうなるかは分からないけれど、あんまり物事や思考に一極集中すると自分の場合はアンテナ精度がとても悪くなるのと、先の本格移住計画から(しばらくは諸々の事情で京都と石川を行ったり来たりの予定になりそうだが)そうなるといよいよ、地元周りの散策機会は無くなるだろうというので、今年の計画として、日帰り出来る範囲の関西近隣面白探し(裏テーマはローカル臭強め)を今一度テーマに掲げてみることにした。
ということで、今年一発目は奈良県・大神神社(おおみわ)エリア。
昨年はケガが重なり冴えない一年だったおツレが、最強のパワースポットで神頼みしたいと言うので選んだ場所だ。私はリクエストに応じ、予備知識無しで運転手になる。
アクセスはあえて、高速に乗らずに地道で走ってみた。木津川沿いの冬枯れ感に萌えながら、やたら広大な天理教の牙城に改めて驚きながら。
そう言えば、子供の頃の仲良し友達に天理教教会の子が居た。ある時、地元・吉田神社の節分祭に一緒に行こうと誘ったら、喪中だからダメと断られた。そこを粘って「鳥居を潜らなきゃいいよ」と渋々許しが出て、そんなルールの抜け道あるんか、と初めて知りつつ、境内の鳥居という鳥居の脇を歩いてたのを思い出す。今回、私も今まだ喪中なので、遠い日のあの子のように鳥居の脇を歩いていたら、おツレが「何してんの」と言ってきた。こんな事で気休めしてるというより、なんというか、子供の頃を懐かしんでるねん、と言おうと思ってやめた。
大神神社はもうお正月も遠に過ぎたのに参道前から車が大渋滞。やっとで車を停めても人でいっぱい。が、我が地元、近所の(今や他所の国の様相な)伏見稲荷と違ってほぼ外国人旅行客が居ない。団体ツアーバスも無かった。神社周辺の商店街はローカル感に満ちて良い意味で洗練されておらず、多分少なくとも何十年も変わらないだろう素朴さが良いなあと思った。脇道に入ったら、古くていい味出してるお家やお屋敷もいっぱい残ってる。
帰りに小腹が空いて立ち寄った名産品・三輪そうめんのお店で煮麺を食べたら、びっくりするほどお出汁が美味かった。出汁に浮かぶ細く清い素麺の様が美しいなと思った。「奈良に美味しいもんは無い」なんて言ったの誰だ(苦笑)。そうめんの「ふし」や、露天のおじいさんが育てた落花生や椎茸、酒蔵で美味しそうな酒粕などを買う。
「私は奈良派」というハッシュタグがある。その対義語は明記されていないけど多分京都を指すんだろう。京都とは近くて互いに行き来のあまり無い奈良だが、時折訪ねると、言葉に置き換えられない大切なものを相当失った地元では風前の灯な、遠い日の何かが今もまだあるというか、また更には別の独特の魅力を感じる。誉れな箇所が点在してそれぞれ遠く、かつ交通インフラがよろしく無いイコール経済効率は悪いだろうけど、その分知られざる通好みが残っていてコア層に愛されるのか、例えば映画監督で写真家としても名高いヴィム・ベンダースの写真集(2003年発刊)は、すぐ側な筈の京都は皆無で奈良を被写体に捉えてる。これはまあまあ、象徴的な目線なのかもなぁと感じた。
私の高校時代の仲良しは、近年奈良に家族丸ごとで移住した。友達がこの地でどんな希望を見出したのか、その事について互いに密に話しては無いけれど、何をか言わんや、旧知の間柄も相まり理解しているつもりだ。