
広島出張からの帰り道。
小学校の修学旅行と高校の研修旅行以来となる、原爆ドームを訪れてみた。昔見た時よりも小さく感じたのは、その後街の都市化がずっと進んだからかもしれない。
同じく爆心地近くにある、かつて広島浅野藩主の大名庭園であった「縮景園」は初めて訪れた。広大な池は近く河口から引いているため淡水と海水が混ざり、共に暮らす異なる生態系に水鳥たちのオアシスとなっており、その池を中心に回遊式庭園となっている。
池の中央にかかる石造りの太鼓橋は、原爆の爆風にも耐えたもので、終戦間なしの古写真にはこの橋だけを残して他は焼け野原と化していた。その後、30年という時間をかけて再整備と修復によって今、目の前の美しい元通りの景色が広がっている。
かつて子供の頃に学んだ平和教育では、一方で復旧と復興にかけた当時の人々のその後の思いを学ぶことは無かったなと振り返る。
そしてどんなに美しく豊かな歴史文化を有していても、時に容赦無く、それらを根こそぎ奪い取る事に躊躇しないのはまた、人間である事も。
共にまたこれらを同期的に見ることを自分で選択出来るのも、大人になったからと言えるのかも。