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能登里山里海マイスタープログラム2024年度修了報告レポート

introduction

 

 我生業である広告写真が属する広告業とはなんぞやを端的に表現するなら、

企業や団体の優れた商品や取り組みについて、

その良さを如何にして世間に知って貰えるか、戦略を練り、見つめ、伝えるという仕事です。

 

 写真というものは、ゼロから創造するその他の芸術と違い、既に在るものを捉えるという記録要素が根底にあります。

さりとて、対極である報道やドキュメント系のように、写真で社会の現状を投げかける立場でも私はありません。

こうした眼差しを通し常々危機感を覚えるのは、

今在る大事なものが、価値を見出されない内に消えてしまう事です。

 一方で広告の仕事は供すれば、消費社会をイタズラに加速させる矛盾も孕んでいます。

 自身の価値観と齟齬が無いか、戒め、問いかける毎日を過ごしています。

 

(以下、今後自身が震災後の能登とどのように関わるかについて、その前段として地方の共通課題を見渡すべくインプットし、同時にアウトプットを行う事を趣旨に資料等を用いて進めてまいります。)

 

 

 こちらは百人一首の選者として有名な藤原定家の歌です。寂れた漁師小屋以外、花も紅葉も、無い無いづくしに言い切る事で、逆に鮮やかな情景を想像させる。一見何も無い事に価値を見出す歌なのですが、いつしか我々現代人は、無い事の恐怖に煽られ、比べる事で自他を卑下するマインドに陥っては無いでしょうか。

 昨今最も好まれる広告戦略手法の一つ「自虐マーケティング」のお手本のような和歌を、一首掲げてみました。

 そしてこの海辺の写真は、地震と豪雨により痛ましい被害に遭われた旅館からのかつての光景で、以前泊まった際に店主さんより教えてもらい、写したものです。ここにオマージュと復興への祈りを込めて、キービジュアルとさせて頂きます。

 

 

 マイスタープログラムや自身の活動で、新ためて能登半島を知る機会を得たこの一年。開講式前日に泊まったのは、修了生の大野さんが営むタイニーファームに、地震後備えられたインスタントハウス。翌朝の光景は、かつて訪れた米国ヴァーモント州のコミューンとの親和性でした。

 共に放牧場跡の利活用、自給自足の実践がその理由でしょう。

 強いて違いを上げれば、長年の実績を経た熟れ感、同じ価値観が育める仲間の存在による、いかなる事象も愉しむゆとりの有無、といった所でしょうか。

 

 ここで遠い国との比較に端を発して、一旦能登から離れますが、同じテーマに対して視点を変えると、どんな別の景色が見えるか、というのをコンセプトに、日本に横たわる共通課題である過疎化、少子高齢化や食糧自給率、エネルギー問題等について、確かな数字を元に再分析してみました。

 そこで分かったのは、よく言われる地方の過疎化も、世界的に見れば、日本はむしろ超過密国である事。

 若者が高齢者を支えるバランスとの言説も、我が国の食を支えているのは全人口の僅か1%、その内65歳以上就農者が七割以上占めており、食料自給を軸とするなら我々は「いつまでも親の脛を齧っている状態」とも言えること。

 災害が起きる度言われるコンパクトシティ化は、都市部の生命維持基盤を支える地方の崩壊によって、国防や国体の根幹さえ脅かす事。

 かつて戦後復興による地方から都市への人口流出も、都市部の年収額は一見多かろうと、今や固定費を引けば手取りは地方と大差無いという、様々な数字の現実。

 戦争やテロ、内戦、コロナ禍から人類が学んだ事は何なのか。そして豊さって、一体何なんでしょう。

 

 (※PCから以下画像をクリックで文字詳細等の拡大可能)

追記情報としてー

江戸幕府成立時の日本の人口は1227万人、明治維新の時で3300万人、第二次世界大戦終了時が7199万人。ピークの2004年が1億2784万人で構成されている。(※国土交通省の資料より)その時々のターニングポイントにして、かつて日本はこれだけの人口で取り仕切る事が出来た、とも言えるのでは無いだろうか。


 

 経済と環境のバランスに揺らぐ大国アメリカの中でも、生き残りを懸けて独自戦略を展開する州があります。それが先に挙げたヴァーモント州です。

 その特色を要約すれば、ずばりSDGs先進国。その内容は一見後退にしか見えない積極的なローカル回帰型であり、自然との共生やありのままの姿をブランド化してアンテナを高く上げる事で、同じ価値観の人達が集まる国づくりを実現しています。

 可住地面積は日本より更に狭く、人口密度も珠洲市のなんと半分位。夏と冬しかないと言われる寒暖差、冬の積雪量は150㎝以上で度々洪水が起きる厳しい環境。日本の物差しでは、典型的な過疎地です。

 ですが、空き家も関係人口で埋まる全米有数の観光地、酪農に付加価値を付けて富裕層にコミット、高水準の大学、IT系企業の拠点もありと、決して浮世離れしていません。

 少数マンパワーでブレない彼らの取り組みやブランド構築例を、幾つか参考資料に挙げてみました。

 お国柄が違うと言えばそれまでですが、ローカルビジネスの結束による地方の生き残り作戦例として、多々参考になろうかと思います。


 (※PCから以下画像をクリックで文字詳細等の拡大可能)

 加えて、どんな暮らしぶりか垣間見れるよう、まさに「ライフ・イズ・アート」を謳歌する、垢抜けない、地元愛溢れる住民達の姿を例に上げます。

 特にブレッド&パペット劇団は、日本ではほぼ知られてませんが向こうではレジェンドな劇団で、かのシルクドソレイユは彼らが起源です。

 

 メディアに散見する彼の国のイメージに対して憧れは皆無だった中、愛すべき彼らと交流して以降、私は自国を見つめ直すきっかけをもらい、ネガティブな言説まみれの地方の可能性を見出し、一方では危機的状況に目を瞑る訳にはいかないという思いに至った次第です。

 

 (※PCから以下画像をクリックで文字詳細等の拡大可能)


 

 ここまで。散々比較してみましたが、震災後の能登の今後の行方として必要なのは、他と比較して「無い」事の悲観で終わらせず、逆に能登らしさを活かすチャンスと捉える、発想の転換と考えます。

 主観である地元の人と、客観である外の人との柔軟な関わり、隣り合った市町村の個性はそのままに、けれども時には欠けた何かを補うべくそれぞれが結束した「能登」という名のブランド力とそのアンテナ、何よりその根拠となるアイデンティティを取り戻す事が、今後大きなカギになるでしょう。

 貴重なものが得手して絶滅危惧なのはなにも能登に限らず、我が地元京都も、経済優先の中で多くのものを人為的に失い、実際は寄ってたかって保護されて何とか存在している状況です。

 各地のキャラが長所短所共にしっかり立っていればまた惜しむ人が集まり、あれこれ知恵を貸してきます。また、外からアイデアを持ち込まれても、それを如何に精査し、地元らしさとして受け入れられるかのジャッジが出来るのは勿論地元の方々。後悔の無いよう、確たる選択をされるのが大事と思います。

 

 しかし今一度声を大にして言いたいのは、その揺るぎない意志のありかです。

 2004年の新潟中越地震において、村長自ら説得に回り「帰ろう山古志へ」を合言葉に、戻る期限をきっちり約束として定め、全村避難を決行した山古志村は記憶にあるでしょうか。

 その営みが復活された村を取材で訪れた際、「地震があって、初めて山古志村という存在をメディアを通して世間に知ってもらえた。当時は他も大変だったから、山古志ばかりいいなって、羨む声もありました」と、村の人たちは、ありがたい気持ちと申し訳ない気持ちを正直に吐露されていました。

 ともあれ、少数マンパワーでその後約束通り再起動した現在の里山の姿は、我々に勇気と希望を与えてくれます。

 

 注目を浴びるのも一瞬であるのは世の常。国内には一方で全くスポットライトを浴びない中、誰の助けも得られず衰退していくばかりの誰かにとっての故郷がたくさんあります。

 そうした中、ピンチはチャンスで課題を乗り越え、頂いた愛情をまた社会に還元していく。それが人間活動の根本なんだろうと私は捉えています。

 

 常に費用対効果をクライアントから求められる我々広告屋は、何か企画が失敗した時に、コンテンツそのものや、注目や協力が得られない世間に対して、決して責任を転嫁出来ません。ウィークポイントを探し、自分達の能力に向き合い、限られた条件と材料の中で、最大限の可能性をどこまでも追求します。

 

 今後は、震災前に購入した口能登の家を拠点に、ローカル回帰を軸としたスモールビジネスを行う計画です。

 地の利無し、人脈無し、資金も無いという不安だらけの無い無い尽くし。一方、これまでの経験や知識がどれだけ他所で通用するか、またそれが社会にどれだけ貢献できるか、夢も描いています。

 地域の弱みも含めたありのままの魅力を発信し、地域外の人々が関わりを持てるようなフックを提示する一クリエイターとして、小さなアンテナを立てるのが最終目標です。

 

conclusion

 

地域課題をよく知る地元の皆さんと、明後日目線の他所の人。そんな両者の違いをネガティブな「比較」で終わらせない為に。

先ずは同じ景色でも違って見える他所の人間として、親交を育みながら、互いの「能登愛」が高まる橋渡しになれるよう頑張ります。

 これからもどうぞよろしくお願いします。ありがとうございました。

 

 (※PCから上記画像をクリックで文字詳細等の拡大可能)


関係人口を築く「関わりしろ」各地の取り組み(備忘録)

追記資料。

 

関わりしろとはー地域外の人々が地域に関わりやすくなる余白や可能性を指す造語である。

 

その主な特色や着眼点として。

・あえてありのままの地域の弱みを見せ、地域外の人々にできることを提示する

・興味の対象として「わたしだったらこうしてみたい」という内発性と創造性を誘引するザラザラ感(とっかかり、ひっかかり)

・外側の人間が関わりたくなるような余白を持たせる

・地域の特色を生かしたリノベーションまちづくり

・カフェやイベントスペースなど、若い世代が気軽に立ち寄れる場所を設ける

 

・・・など、既存のものに対する発想の転換に面白味を持たせ、完成品を提示せず、あえて未完の状態で他者に関わってもらうよう促す。

傾向として、都会的で余剰予算がありそう、とは対局のものに「好感」なり「惜しいな」感を与えている。

加えて、往々にしてピンチはチャンス的「自虐マーケティング」が軸になっている。

カッコイイよりちょっとズレてる、美しいよりもちょっとブサかわいい、何だか気になる、懐かしい、親近感、身の丈感と言うのがトレンド。

ひと頃までの全体主義よりも、選択の自由や、あまり知られてない事への関わりを好む傾向に対する訴求力がある。

ただしリアル過ぎる悲壮感を相手に与えない、絶妙のバランス感覚による必死ながらも人情味溢れる面白おかしさ(引っかかり=フック)がポイント。

 

枠組みの好まれる傾向として、既存の大手広告代理店やコンサルタント会社の手掛けるものでなく、少数マンパワーで不器用ながら頑張ってる、どこか素人臭さが、コンテンツを支える大事な要素となっていると言えるだろう(大規模投資が企画の背景に匂うと、外側の応援したい心を一気に減退させる傾向にある)。

 

近年、巷の創業塾などでコンサルタント講師の言説にある「体験要素を含めよ」は、上記に則したものと言えるが、ある意味では説明として不十分で、その意味合いや必然性は上記に由来するものと捉えるなら、より創業側や企画側も咀嚼しやすいのではと言うのが、身をもって幾つかの講義を受けた立場としての感想でもある。

 

 

以下、各自治体や団体などが「関わりしろ」をコンセプトに施策しているアイデア光る、ユニークな一例として。

 

◉絶やすな!絶品高崎グルメ(継承者不足の絶滅危惧と絶品ご当地グルメの紹介 群馬県)

https://zetsumeshi-takasaki.jp/

◉牡蠣食う研(広島を世界一おいしく牡蠣が食べられる街へ 広島県)

https://kakikuken.com/

◉BEPPU PROJECT(温泉地・大分県別府市を活動拠点とするアートNPO 大分県)

https://www.beppuproject.com/

◉島根とゆるくつながろう!(ビーンズしまねUIターン情報誌内 島根県)

https://www.kurashimanet.jp/people/beans/65/page05.html

◉日本一バズる公務員(ふるさと納税200万から34億円を達成させた移住組・地域おこし隊のサクセスストーリー 高知県)

https://studio.persol-group.co.jp/nama/241016-1

◉写真の街焼津(写真女子やフォトグラファーが安心して街歩き写真を撮れるようマナーガイドやカメラレンタルなど行なっている 静岡県)
https://www.yaizu.gr.jp/photocity/

 

 

 

以上のレポートを持って、能登半島を始め、災害後や地域課題に埋もれてしまいそうな全国の誰かにとっての故郷へと、心よりエールを込めて。


谷口菜穂子写真事務所
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