子供の頃の、ちょっと苦い思い出。哲学の道。
小学校5年の頃。京都大学農学部北側に、両親が中古の家を買って引っ越した。同時に義理の母親の母親、言えば義理の祖母も同居する事になり、以後、「哲学の道」の散歩を日課とする祖母に付き合うよう、母親から命じられた。
正確には哲学の道と言われる所から、北へ延長線上に伸びた京都疎水沿いの散歩道。交差点を渡ってそれが続くから、「哲学の道」と祖母は纏めてそう呼んだ。疎水脇を御蔭通から起点とし、白川今出川で折り返すのが祖母の散歩コース。
戦中戦後、祖母は絵に描いたような極貧生活を生きた人で、北陸のお寺に生まれ、子供の頃は「お嬢さんだった」が口癖だった。薄暗い府営団地に一人暮らし、「皇室アルバム」や「宝塚歌劇」がお気に入りのテレビ番組。一緒に暮らすようになった引越し先は、東隣はお医者さん一家、西隣は著名な学者一家、挟まれたうちは普通の小さい一軒家だったけど、土地柄周りはインテリ家族に囲まれ、哲学の道の成り立ちも相まって、祖母はたいそう嬉しかったに違いない。
さて当時の私と言えば確かに、哲学の道も、それに続く疎水沿いの散歩道も好きだったし、私が3、4歳の頃に父が再婚した母親、そしてその母親である祖母も、義理とは知らずにたいへん懐いていたが、母親の言いつけである祖母のお散歩同伴はどうにも苦痛で仕方なかった。
母親は、理想や道徳を義務化して貼り付けるのが性分だったと振り返る。ゆえに祖母の付き合いは嫌だなと思った瞬間に、心根が優しく無いと評される自分に向き合う羽目になる。さりとて祖母のこれまでの人生で培われたコンプレックスを理解して寄り添うことは、子供の私には出来なかった。これはたかだか散歩じゃ無い。
もう少し、あの頃何も言わずにやんわりとした枠で居てくれたなら、時々は放課後の遊びに夢中になったとして、今日のような心地よい夕暮れの日には、祖母と和やかに散歩をしたかもしれない。あるいは時々奢ってもらう、折り返し地点の交差点角にあった「銀閣寺キャンデー」の、あのカチコチのアイスや大文字焼きに釣られて、無邪気に毎日、今日は今日はと楽しみにしたかもしれない。
けれどそれはあまりに絶対的だったから、散歩の度に祖母が話す、ここは誰それの豪邸、ここは誰それという有名人の家、なんて話を上の空で聞き流し、加えて散歩道に咲く花の記憶も一切残らず、やがては逃れるように、放課後の予定をびっちり組んで、日が暮れまで校庭でドッジボールにキックベースと、後ろめたい気分をひきづりながら、夢中になるよう、夢中になるよう、遊びほうけるようになった。
あれから何十年。
今年になって、昭和23年創業の銀閣寺キャンデーは店をしまわれたと知った。哲学の道には、ソメイヨシノ以外のいろんな桜、いろんな草花があることも知った。あの頃散歩していた時間帯は、西日がとっても美しかったことも。
そして今やはるか飛び越えて、どこの国かも分からないくらいに、グローバルな観光散歩道と化している。