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写真をかいかぶらない。後世への記憶、記念、継承ツールとする向きへの個人的警鐘。


「写真をかいかぶらない。後世への記憶、記念、継承ツールとする向きへの個人的警鐘」 ~貴重とされる被写体と、写真という目線の危うさ。


 わずか200年ばかり前に誕生した「写真術」。

 その遠く以前の歴史は(絵画以外に)二次元で可視化出来ないから、その後の歴史の記録媒体として大変重宝される「写真」。

 一方で冷静になれば、200年のその先に、記録された像が残るのかどうか、年齢がゆえに科学的検証のされようもない「写真」。

 で、あるにも関わらず、何か、消えてしまうかもしれないものを別の形として(あるいはコンパクトに)後世に残す際、いの一番に駆り出されるのが「写真(映像)」です。

 今ではそれも(実体の無い、言わば暗号のような記号で)デジタル化され、命を終えて消えゆく被写体を、これまた像としては実在しないもので記録する訳、なんですよね。実に儚いお話です。

 

 ところで、古文書の複製保存、埋蔵調査記録の現場ではいまだにアナログです。モノクロフィルム撮影及び印画紙プリントを行い、その上でデジタル化も行われます。これは何を指すかと言えば、「未来に対して出来る限り像(形)としての実体、オリジナルを残す」と言う重要なミッションに基づくが故なんです。色の情報よりも、像を残す事を優先選択してる。何故ならいずれは退色してしまうから。例えば、昔造られた極彩色の仏像も、仮に保存状態が良い環境に置かれても、残っているのは木であり、石である形、ですよね。

 写真史200年の歴史の中でも、フィルムや印画紙の歴史は長く、ある一定の(像が残る劣化年数等)科学的実証も示されて居ます。一方、写真史上約30年程度に発展途上のデジタル写真は、利便性の裏側に潜む不安定要素はあげればキリがありませんが、最も如実な所で言うと傷でも入れば最後、静電気一つで元データが飛んでしまうなんて、フィルムをじわじわ蝕むカビより恐ろしい。人間の寿命単位レベルの短いスパンで物事を判断してるに過ぎないものへの根拠の無い過信は、人類の永遠の課題にも思います。

 デジタルに比較してモノクロフィルムによる古写真は「味があって良いね」と近年再評価される向きがありますが、極論、実体に近いものがフィルム上に像として存在して居るが故に、実像との距離の近さが、見る人の感覚面に影響を与えるからではないでしょうか。ちなみに、その味わい深い古写真は全て、職人(あるいは作者)による手現像に手焼きプリントである事も、特記するとして。

 

 写真に限った話ではありませんが、便利で扱いの良くなったものは、かと言って万能では決してありません。

 皆さんにとって大切な何かを手元に残そうとする際、いの一番に「写真」を選択するのをちょっと、止めてみたらどうでしょう。消えてしまうものを残したい欲求に駆られた時、そしてそれがまだ消えるには時間の猶予がある場合。サクッと身から取り出すのはスマホでも無いしカメラでも無いよ、と制限したら。感覚、知恵、知識、持てる技術の全てで、どう留めるか、自分に何が出来るか。今一度、その存在が発する瞬間の美しさや愛おしさに対し、よく見極めるようになるかもしれないし、無粋にレンズなど向けずにそっとしておくか、ただただ全身を使ってその場、そのものを体感するようになるかもしれません。

 人間の体感器官の中から、最優先すべきは視覚主義だけじゃ無い筈だし、目から得る情報だけをとって後世の記録とするのには、被写体を実際に見た人間による主観がデフォルトになるので、その後、視覚情報として見せられる未来の人間に対し、あるいは主観者から過去に見つめられた被写体の、果たして本質を伝え切ることが出来るかを思えば、実にフェアじゃないし、なにより正確性に欠きます。そして最も厄介なのが、なまじそのもの自体を捉えてはいるので、あたかも写真が真実を語っているかのように思われがちな点です。例えば、すぐさま分かる例を挙げれば、国内外の数多の観光写真。比較して実際に現地に行ったら思いの外でガッカリするか、逆に既存の情報よりも素晴らしかったと思える事はありませんか?

 

 さて今しがた、「大切な何か」と言いましたが、果たしていま、それが大切なものか否か、簡単に取捨選択出来る訳も無いのが、過去を受け渡すその先の未来です。もっと厳密に言えば、未来に対する後悔のない責任、のようなもの。今、とりわけ特別に思えないような、ただただ普通の日常的なものも、何十年、何百年後にはかけがえのない存在になるかもしれない。「あの頃は楽しかったなあ」「何故あの時ちゃんと大事にしなかったんだろう」「もうちょっと上手に写真撮れば良かった」。そんな後悔のきっかけを与えるのが、切り取った瞬間から過去性を帯びる写真というものに出来る精一杯の役割かもしれない。
 その後悔も、深刻度合いはまちまちです。ある1枚の素敵なロケーションの写真があったとして、その実像を見た事が無い人にとっては「わあ良いな、行ってみたいな」のきっかけになりますが、その場所がもう既に無くなって居たら、「実際にこの目で見てみたかったな」になります。また、ある1枚の、今ひとつ故人の人柄が反映されていない遺影写真があったとして、その故人の生前を実際に知る人にとっては、写真を拝んだら故人の記憶が蘇るきっかけとなって泣けたり、感慨にふけったり出来ますが(そしてその殆どは、人間の優しさか、過去を美化して亡くなった人を悪く思う事は無い)、故人を生前全く知らない人にとっては、その残された写真が人柄を捉えるほぼ唯一のものになります。仮に亡くなった人が生前に著名人であれば、他に書物なり、他者からの様々な切り口による口伝なりで、人物像を紐解く事も出来るかもしれませんが。
 つまり、写真はその実像を知って居る人と、知らない人の間を厳密に埋める事はできません。むしろ一方ではなんとでも美化され、知らない人にとってはそのものの実体はいよいよもって分からなくなる、いわば分断は生じさせたとしても。

 つまり、今ある大事なものの見極めなんて今すぐ出来ないのが私たち人間なんだから、オリジナル(実像、あるいは被写体)は出来る限り、誰しもの共有財産として、あるいは未来に向けた過去の検証材料として、確たる寿命が無い有形物に対しては少なくとも、残せるものなら残しておいた方が良い。と、いう考え方もありとはならないだろうか。

 トリミングも、編集も、修正も、加筆も、あるいは主観側の取捨選択による不都合面の消去も無い、ただただオリジナルな世界というか。その次の選択として、オリジナルからの転用、再活用。そうして完全寿命を迎えて、そのものの寿命とする。

 個々人による、まだ使えるものに対する断捨離思想を全体主義としてしまうには、性急過ぎることが世に余り過ぎて、このままでは失くしてしまったものよりも、それらを記録し、誰かに見せる事を前提に残そうとする無味無臭な画像情報のあまりの膨大さと乱雑さに、心がドライアイに陥りそうです。

 写真というものが、見る側の「知っている」「知らない」の分け隔てをただ助長させるものになるのは、とても辛い。

 

 ともあれ、写真表現を本質的には重視しない人にとっての「写真」というものの扱いについては、思わず写真に撮りたくなるほど美しかったり、面白かったりするものが溢れる世の中っていいもんだね、だろうし、であればあと一歩踏み込んで、写真に納めておしまいに出来る程度の、軽いものに溢れる消費社会や人との繋がりというのも、なんだかね、という気持ちにも、少しばかり、なってもらえたらな。。。と、思う昨今です。

 こうした状況を煽る元凶の一つとも言われるSNSでこんな事を嘆く、と言うものまた大いなる矛盾なのですが。

 

 それでも尚、写真というものをこよなく愛し、写真に出来る事や可能性を信じたり、希望を伝えたいと思う者として。あるいは、そのものの本質や核心を出来る限り、後世に伝えて行ければと思う者として。それが表現出来るように、精進するも道半ば。

 例えば京都大学にある、100年越えの歴史を歩んだ「吉田寮」のような現状、解釈の複雑な被写体を前には、どう写真に落とし込むべきか今以て悩む、一表現者として誠に未熟な者の言い訳として。

 

 

 追伸と本題

 

 9月23日にコメンテーターとして私も末席に居させて頂いた、京都大学構内にある日本最古の現役学生寮にして、その105年の歴史が存続の危機にある「吉田寮」について、寮生有志による主催の、未来への継承、再生を考えるシンポジウムがありました(市民と考える吉田寮再生100年プロジェクト公式サイトhttp://yoshidaryo100nen.deci.jp/2018/)。

 その際のレポート記事が、AXISウェブマガジンにアップされています(ブログ末尾に前編後編に渡るリンク先あり)。大切な何かを残す事について、様々なジャンルによる考え方で、多角度からとらえてみようとする、極めて意義のある企画でした。

 

 レポート記事には触れられていませんが、私は個人的に、吉田寮存続や継承に向けた提案から「イベントや展示スペースなどを設けて、吉田寮を広く認知させたり、市民と交流したり歴史を体感出来るような場にしてはどうか?」との、学生寮+オープンスペース的仕様のプレゼンが相次ぐ中、コメンテーターのお一人で吉田寮生ら京大生御用達の飲食店店主、小田さんによる言葉で、「吉田寮は学生寮としての本来機能を保持すべきで、むしろ寮生が外と交流すべく、内側に篭らず、寮からもっと外に出るべきだ」との趣旨発言がとても印象深かったです。

 それは、大学以外の外気に触れて様々な意見や価値観を知り、成長を重ね、結果、多くの人にも学生のこと、吉田寮のこと、そうした存在を認知してもらうという風通しの良いアプローチで、普段から学生さん達とリアルに付き合いのある人だからこその愛のある発言に、眼差しのあたたかさみたいなものを感じました。加えて解釈するなら、本題である吉田寮に対する好む側、好まざる側による近視眼から、一歩客観性を保つ事で本質に向かう、押し付けの無い自由域に満ちた視点への提案や姿勢のようにも思えて、私にとっては企画の趣旨に照らし合わせた(かつ最も普遍的で、活用や転用意見が主流の声が多数の中では勇気ある)大変象徴的な言説でした。

 同じく、記事には触れられていませんが、コメンテーターで材木を扱う荒木さんによる「日本の木造建築における伝統工法によってきちんと改修すべき」とする論も、小田さんの文脈とある種の繋がりを感じましたし、あるいは写真においては、デジタルよりフィルムによるアナログの可能性や保存性の高さにも通じる内容に思いました。

 加えて、寮生有志による公式サイト側には、図面資料一式のファイルhttps://drive.google.com/drive/folders/1YQvDqSRvvQ3Fg6RqoLY4-ba7sRRp9gwZの中に、コメンテーターで建築家の山根さんによる詳細な論考と図面も含まれて居ますが、この貴重な資料を多くの人がたどり着き、読み込むには至らないとしても、在るものに対する存続への熱意と、長年に渡る検証努力には、お会いする度尊敬の念が募りますし、シンポジウムの事前打ち合わせ(吉田寮食堂)でお聞きした、某コメンテーターの発言では、新たにして僅か数年しか満たない利用者による吉田寮食堂の破壊状況を目の当たりにしながら「どうして彼らがこんな扱いをするのか理解出来ない。一方、建築業者の方も木材の扱いが全くなってない。伝統工法をまるで知らない人が作ったものだ。大学側も、それが全くチェック管理出来ておらず、そのまま受け取っている。本物が分からない、知らないから、学生側も破壊行為に至るのかもしれないね」と憤っておられたのも印象的でした。同じく食堂内の真新しかった筈の白漆喰の壁に描かれた無数の落書きには、「これを個性や表現の自由と言うかもしれないが、ただのマーキングだよ」という感想の元、こうした行為は擁護する事はできないな、とする意見で、複数のコメンテーターで盛り上がったのは言うまでもありません。

 当日のシンポジウムにコメンテーターとして残念ながら参加出来なかった関西大学の西澤先生も、以前、蜘蛛の巣や埃まみれになりながら、吉田寮を随分かかってゼミ生らと徹底的に調査を行っておられ、その際の明るくご苦労されたお話はよく個人的にお聞きしていました。再生案のプレゼンにて1番の票数を獲得した細入さんは西澤先生の元ゼミ生で、吉田寮の実測調査も学生の頃に行っておられたとプロフィールにあり、卒業論文はコメンテーターの荒木棟梁へのインタビューを元にされたそうです。先生は居なくても師の意志は昇華され、体現されているんだと思うと、密かな感動がこみ上げてきました。

 

 そのような細々とした、しかし近年の吉田寮にまつわる重要な要素というのは、物語の筋上、内実共に制限のある記録媒体からはみ出してしまう訳で、同じ時間軸に存在して居た筈の者としては、受け手によってそれぞれに違うのだな、なるほどそこは咀嚼出来て居なかったなとか、とても参考になったと同時に、聴講されて居た多くの方々には、それぞれどのように感じられたんだろうなと言うのもだんだん気になってきました。

 新聞というのは常々、物事の概要を一応なり中立な立場で原則書かれるので、それこそ物事は概要でしか分かりませんが、むしろレポートともなれば詳細の強弱は視点側に委ねられるものがより可視化されますから、実際その場で膨大にあった内容の取捨選択は、実際にその場に最初から最後まで居た人にしか、分かる事は出来ません。更に言えば、企画自体を立ち上げて、結実された最当事者である寮生有志のここに至るまでの苦悩、達成感、恐らくは行動を起こした事による課題への日々の向き合う心情などは、外側からは到底、想像も出来ないでしょう。最も真近で心血を注がれた日々には、必ずや何らかの結果が来らん事を、心から祈るばかりです。

 

 だからこそ、一見すれば、自分には直接関係が無いと思えるものも範囲を拡げて好奇心を持って、それぞれが出来るだけ近寄って、実際の場へ赴いて、我が身をもって触れて、嗅いで、聞いて、見て、咀嚼するというのはとても有意義だし、そのような行動や行為は、生きる中でもとても大切なことに思います。

 同じく京都大学繋がりで言えば、この度ノーベル医学・生理学賞を受賞した京都大学特別教授の本庶佑さんが、国内(恐らくはお隣に大学総長も画面に見切れておられたのと、背景に大学名ロゴが映っていたので大学構内?)での会見で、未来ある若者へ向けた言葉の数々も大変印象的でした。

 「何かを知りたいという好奇心を持つ事と、何事も簡単には信じない事」

「(論文や教科書など)既に書かれているものを鵜呑みにしないこと」

「常に疑いを持って、自分の目で確信が出来るまで実験を行う」

「つまり実験とは、自分の頭で考えて、納得できるまでやるという事。自分の目で、ものを見る。そして納得する。そこまで諦めない」。

 

 人の目を通した写真なり、文章なりの記録物、あるいは発言は、その場への導入口、興味、関心、好奇心を掻き立てる、ただ、大いなるきっかけという存在であれば。

 実体の存在は原則において、それぞれの解釈はまた様々だからこそ、面白く、そして難しい。

 

AXISウェブマガジン前編後編のリンクはこちら↓

「日本最古の学生自治寮「吉田寮」の存続と継承に市民のアイデアが今できること」

《前編》

https://www.axismag.jp/posts/2018/10/102694.html

《後編》

https://www.axismag.jp/posts/2018/10/102755.html

 

 

 

※掲載した写真は、本文とは直接関係のあるものではありません。あえてカメラを持たずに出掛けた筈の美術館にて、友人のスマホを借りて撮ってしまった不埒な衝動による写真です。

 

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